MMT 現代貨幣理論



MMT= MODERN MONETARY THEORY
現代貨幣理論


財政赤字容認、米で論争激しく

異端「MMT」左派・若者が支持 大衆迎合に利用懸念

「インフレにならない限りは財政赤字をどれだけ膨らませても問題ない」とする「現代貨幣理論(MMT)」が米国で大論争となっている。

低成長を脱するために財政を積極活用すべきだとの主張が米民主党左派や若者の支持を集める一方、主流派経済学者からはハイパーインフレのリスクを軽視していると批判が広がる。

「MMTは経済理論とすら呼べない」。ハーバード大のケネス・ロゴフ教授(国際金融論)は10日、国際通貨基金(IMF)本部での講演で、MMTを酷評した。

米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長やサマーズ元米財務長官らも批判で足並みをそろえるなど、MMTは「異端の経済理論」として主流派の総攻撃を受けている。

MMTを表舞台に上げたのは、2018年の中間選挙で旋風を巻き起こした民主党のオカシオコルテス下院議員だ。

MMTをベースに地球温暖化対策や国民皆医療保険などに巨額の財政資金を投じる構想を表明し、財源に米連邦準備理事会(FRB)による国債買い入れを当て込んだ。

先進国は構造的な需要不足に陥っており、低成長・低金利・低インフレが長期化するという「長期停滞論」も背景にある。

民間部門による十分な投資が見込めないなら、政府が財政出動で補うべきだというのがMMTの発想だ。

サマーズ氏らも実質金利が低い環境では国債を発行してインフラ整備などをすべきだと主張してきた経緯があり、「想定よりも財政余地はありそうだ」と認める。

主要国の過大債務を不安視していたオリビエ・ブランシャールIMF元首席エコノミストは「長期金利が成長率を下回っているなら、財政拡張できる」と指摘し始めた。

ただ景気刺激のため一時的な財政出動は容認しても、長期では財政再建が必要というのが主流派の立場だ。

財政赤字のツケを中央銀行に回す「財政ファイナンス」を促すMMTは大衆迎合主義的な政策に使われやすく、歯止めなきインフレを招きかねない。

投機筋が国債売りに動く可能性もある。

MMTは「通貨発行権のある国家は財政破綻しない」と主張するが、高インフレは生活者の預金価値を毀損し、実質的に国の破綻と同じ結末となる。

MMTの提唱者であるニューヨーク州立大教授のステファニー・ケルトン氏は「日本はMMTを実証している」と話す。

主流派の経済学界から湧き上がるMMTへの批判は、日本の財政・金融政策への警鐘とも受け取る必要がある。


提唱者・ケルトン氏に聞く インフレを恐れるな/雇用創出で赤字縮小

現代貨幣理論(MMT)の提唱者であるニューヨーク州立大教授のステファニー・ケルトン氏は日本経済新聞の取材に「日本が『失われた20年』といわれるのはインフレを極端に恐れたからだ」と述べ、日本がデフレ脱却を確実にするには財政支出の拡大が必要との認識を示した。

* MMTは何を目指しているのですか。

「完全雇用と物価安定を達成するには金融政策ではなく、財政政策への依存度を高める必要がある。

インフラや教育、研究開発に投資すれば国の長期的な潜在成長率が高まるのは、経済学の基本論理だ」

「米での目的の一つは財政で完全雇用の機会をつくることだ。

政府が雇用を保障し、1千万人が現れたら1千万人を雇う。

景気が回復すれば雇用は民間セクターに移り、財政赤字も縮小する」

* ハイパーインフレへの懸念も指摘されています。

「財政拡張策にインフレ防止条項を入れておけばいい。

例えば5年間のインフラ投資計画を通したとしても、2年目にインフレの兆しが出れば支出を取りやめる。

MMTは財政で物価をコントロールする」

* ドルが急落するリスクもあります。

「MMTは米経済の潜在能力を最大限引き出す政策だ。

多くの投資を受け入れる余地を生み、ドルの下落はありえない」

:日本の政府債務は国内総生産(GDP)の240%と主要国で最悪です。

それでもMMTによれば、財政再建は不要ですか。

「日本政府と日銀はMMTを長年実証してきた。

日銀は日本国債の40%を買い上げ、金融政策で長期金利も抑制している。

政府債務が問題なら、実体経済に問題が出るはずだ」

* MMTの最大の懸念材料であるインフレをどう防ぐのですか。

「日本が減税や歳出増で財政を拡張しても、現時点で供給不足によるインフレに近づいているとは思っていない。

そもそもインフレは問題なのか。

仮に3〜4%のインフレになるリスクがあっても、財政支出で長期停滞から脱却した方がいいのではないか。

日本は『失われた20年』といわれるが、それはインフレを極端に恐れたからだ」

出所: 日本経済新聞 2019/04/13 【ワシントン=河浪武史】




現代貨幣理論(MMT)はマクロ経済理論の一つで、歴史的にはジョン・メイナード・ケインズ、アバ・ラーナー、ハイマン・ミンスキーといった経済学者にルーツを持つ。

最近再び脚光を浴びるようになったのは、通貨の増発による財政出動に理論的根拠を与えるとして注目されたからだ。

MMTの基本的な前提は独自の不換通貨を持ち、公的債務(国債)の大半が自国通貨建てで、かつ為替が変動相場制をとる主権国家は決して破綻しないというものだ。

そうした国は公的部門のすべての赤字を通貨増発で手当て(財政ファイナンス)できるため、公的債務がどんなに膨張しても心配には及ばないという。

MMTによれば、財政支出を停止しなければならないのはインフレが行き過ぎた場合だけで、現時点で低インフレのほとんどの先進国は財政支出を控える必要はない。日本はまさにこの理論が当てはまるという。

日本が流動性のわなに陥り、金融政策が効かなくなっていることは明白だ。

現在のインフレ率も近い将来高インフレになる危険性も、財政支出や財政ファイナンスを打ち止めにすべき水準には程遠い。

だがMMTには、金融化(金融の相対的重要性の拡大)が著しい現代のグローバル経済下では成り立たない主張が含まれている。

MMTは、主権国家の債務総額や金融政策の選択肢を考える際に、政府と中央銀行の勘定を「国家」として一体とみなすべきだとする。これは正しい。

また国家はベースマネー(現金と準備預金)を発行する独占権を持ち、これを行使した際に生じる通貨発行益により国家の予算制約は緩和されるとする。これも正しい。

この分析から導かれる重要なポイントは、公的債務の持続可能性の評価に当たり指標として使うべきなのは、政府部門の総債務残高でも純債務残高でもなく、政府部門の純債務からベースマネーを差し引いた値ということだ。日本では2017年末時点で国内総生産(GDP)比67.4%となる。

国家の貨幣性債務は名目上の債務にすぎない。

兌換(だかん)不能なので、銀行券の保有者は発行者(中央銀行)に金などとの交換を要求できないからだ。

ここで注意したいのは、国家が発行したベースマネーはこの意味で国家の債務ではないが、後述するように通貨発行には通貨発行益などの経済的意義があることだ。

MMTの目新しい主張と言えるものは3つある。

第1に政府財政では、論理的に赤字が必ず黒字に先行するというものだ。

納税者は税金納付時に政府の発行した通貨で払うからだという。

だがこの理屈は、国家は民間部門に貸す(民間部門から証券を購入する)だけで、赤字にならずに経済に通貨を供給できるという事実を無視している。

第2に公的債務は将来世代の負担にはならないという主張だ。

これは、財政赤字を手当てする目的で発行された公債が触媒の役割を十全に果たし、民間部門の需要を刺激し、金利を含む償還に必要な税収を生み出すことが前提になる。

公的債務でファイナンスされた財政赤字が、民間債務でファイナンスされた投資と等しく生産的だという前提は相当強引だし、財政、金融、個人の選択に左右される。

第3に政府は1品目の名目価格を設定するだけで、あとは市場が相対価格を決めるに任せ、裁量的に通貨を増発してよいというものだ。

この主張は貨幣的均衡と矛盾を来す。ここでは金本位制の前例が参考になろう。

金本位制を採用した瞬間から、もはや中央銀行は自国の不換通貨を裁量的に発行できなくなる。

国家はいつでも通貨を増発して債務返済に充当できるから、自国通貨建ての国債のデフォルト(返済不履行)はあり得ないという主張は、財政ファイナンスがハイパーインフレを誘発すれば、デフォルト以上に多大なコストが生じかねないことを無視している。

ドルは基軸通貨だから米国は世界のどこからでも自国通貨で借りられる「超越的な特権」を持つという主張は、その特権が永遠には続かない事実を見落としている。
過去にも1956年のスエズ動乱で、英国がこの特権を失った例がある。

MMTは、名目金利が実効下限制約(ELB)、すなわち事実上の下限に達している状況では、通貨増発による赤字補填は必ず流動性のわなによる均衡を導くと主張する。
だが財政支出の結果として生じた赤字をファイナンスした場合には、不可避的に流動性のわなを招くとは言えない。

実体経済における投資と消費の反応によっては、クラウディングアウト(政府の支出増による民間投資の抑制)を引き起こしたり、供給サイドを刺激したりすることがあり得るからだ。

MMTは、財政ファイナンスがインフレまたは経済成長を促す過程で、金融仲介機能、投資の金融化、資産価格インフレが果たす役割を軽視している。

通貨増発で賄った財政支出が投資に充当されるか、M&A(合併・買収)や自社株買いに使われるかにより、経済成長や経済的厚生(利益)に与える影響は異なる。

また資産価格の上昇は、どの資産がどの程度値上がりするかにより不平等を引き起こす。

投資選択や不平等に関心を持つはずのMMT論者が金融仲介や金融商品の役割を軽視するのは解せない。

MMTが最近注目されるのは、現在の低インフレと超低金利の組み合わせが、財政ファイナンスに関するMMTの主張にとって理想的な環境を形成しているからだ。

筆者の考えでは、ELBと長期的な流動性のわなが併存する現状は特異な経済環境であり、この環境に限ればMMTの中心的な主張(通貨増発による財政出動の拡大)は成り立つ。

期限付き商品券を国民に配布するといったヘリコプターマネー政策も、今日の日本になら効果があるかもしれない。
だが米国と英国は流動性のわなから脱しているし、ユーロ圏、いや日本でさえ、どこかの時点で金利がELBを上回るだろう。
そうなったとき、巨額の財政ファイナンスが引き起こすインフレは日本にとって深刻な問題となろう。

米国のMMT論者は、雇用保障政策などの原資を財政ファイナンスで賄うことを提案するが、供給サイドの刺激や所得分配の観点から価値があるなら、MMTと関係なく実行すべきだ。

最後に財政ファイナンスの総額そのものよりも、所与の額に対してなされる財政選択の方がはるかに重要なことを指摘したい。

財政選択とは、財政支出の変化の規模と、構成や租税構造の変化の詳細を意味する。

流動性のわなに陥った状況であれば、通貨増発による財政出動は景気変動抑制効果の点から望ましい。

だがひとたび流動性のわなを脱したら、インフレを誘発せず通貨発行益を最大化することに細心の注意を払わなければならない。

出所:2019/05/31日本経済新聞
現代貨幣理論を問う(上)目新し主張、軒並み不正確
Willem Buiter 49年生まれ。エール大博士(経済学)。元イングランド銀行金融政策委員
Catherine L. Mann MIT博士(経済学)。OECDチーフエコノミストなどを歴任




米国を中心に「現代貨幣理論(MMT=Modern Monetary Theory)」を巡る論争が熱を帯びている。

「自国の通貨を発行して借金ができる国は財政赤字を増やしても心配ない」とする主張は、主流派の経済学者や政策当局トップから「大惨事を招く」「全くの誤り」と痛烈に批判されてきた。

この論争が分かりにくいのは、批判する主流派学者もインフラ投資の拡大や医療保険の充実など積極的な財政支出を提唱する点だ。

政策の内容だけをみれば、伝統的なケインズ経済学とMMTは共通点が多い。

われわれ日本人が困惑するのは、提唱者のステファニー・ケルトン米ニューヨーク州立大教授が「日本はMMTを実践してきた」と、最近の財政金融政策をMMT理論の実践と位置付ける点だ。

政府・日銀は明確に否定するが、公的債務は膨張を続け、日銀による大規模国債買い入れや長期金利をゼロ%程度にコントロールする政策は、MMTの政策提案に重なってみえる。

MMTの理論は経済学の中にどう位置づけられるのか。

そしてそれはどう誤りで、日本の財政金融政策の枠組みと何が異なるのか。議論の整理を試みたい。

経済学の中の位置づけから考えたい。

伝統的なケインズ経済学では、不況や失業を克服する手立てとして政府の介入を是とし、処方箋として財政金融政策を提唱する。

簡単に確認すると、金利が短期・長期とも十分なプラス領域にあれば、金融緩和で金利を引き下げ、企業の設備投資や家計の消費支出、住宅投資などを刺激する。

公共投資や減税などの財政の拡張はより直接に支出に働きかけられる。

一方、財政赤字は国債の増発と長期金利の上昇を招き、民間支出を締め出す恐れがある。

ただし深刻な不況などの場合には、積極財政と金融緩和を同時に実行して金利上昇を抑制し、より大きな支出創出効果を目指すという選択肢もある。

主流派経済学には政府の介入に慎重な新古典派経済学もある。

景気減速や失業は人々の最適な行動の結果である一方、政府の財政出動には無駄が多く含まれ、経済の生産性や効率性をむしろ阻害する要因とみる。

政府サービスは国防や法制度など必要最低限とし、小さな政府に通じる減税は容認しても、公共投資や社会保障など大きな政府につながる財政赤字は容認しないというのが基本姿勢だ。

MMTは伝統的ケインズ経済学との親和性が高いようにみえる。

失業や需要不足を前提としたモデルで議論する点、公共投資や社会保障など積極財政を支持する点、金融緩和と組み合わせて金利上昇を抑制する点など、多くの面で共通する。

ではなぜローレンス・サマーズ米ハーバード大教授などケインズ派の重鎮たちがこぞってMMTを批判するのか。
それは理論の背景で想定される政策レジームの違いにある。

政策レジームとは、一連の政策が将来にわたり繰り返し実行される制度的な枠組みを指す。

政府と中央銀行の政策レジームの組み合わせについて、主流派経済学では、政府は財政収支の均衡を目指し、中央銀行は物価の安定を目指すことが想定される。

新古典派では財政バランスを短期かつ厳格に守り、ケインズ派では中長期かつ緩やかに目指すといった違いはあるが、収支の帳尻という制約があることに変わりはない。

中央銀行は政府・財政とは独立した法制度のもと、物価安定を目標として金融政策運営を行う。

これらは現代の先進国に共通する政策レジームだ。

一方、MMTでは財政収支の均衡を目指さない政府と、物価安定を目指さず政府・財政に従属する中央銀行の組み合わせを想定する。

政府は無規律・無制約に財政赤字の拡大を続け、中央銀行は物価安定でなく、財政をサポートするための金融緩和と金利抑制が義務づけられる。

MMTが異端で誤りとされる理由はまさにここにある。

財政拡張や金融緩和という政策行動は同じにみえても、それを実行する政策レジームの組み合わせが異端なのだ。

MMTの世界では、中央銀行は枠組みとしての財政従属に取り組む責任があるため、それが実行可能となるように中央銀行法や財政法は改正される。

インフレ率をコントロールする責務は、中央銀行ではなく政府と議会が担う。

景気過熱や高インフレが懸念されれば、増税により抑え込むとMMT論者は主張する。

しかしただでさえ増税は不人気であり、合意形成に時間がかかる。

機動的かつ十分な増税ができなければインフレが高進し、「インフレ税」により人々の生活は圧迫される。

政策レジームという観点からとらえれば「日本はMMTを実践してきた」との主張が誤りなのも理解できよう。

政府と日銀による機動的な財政政策と大規模な金融緩和というポリシーミックス(政策行動の組み合わせ)は、MMTが想定するような政策レジームの下で実施されたものではない。

すなわち日本政府は中長期の財政再建を国際的な公約として表明している。

膨張を続ける社会保障関連支出も、保険料引き上げ、年金のマクロ経済スライド、消費税増税などの取り組みを伴っている。

決してフリーランチ(ただ食い)で運営されているのではない。

日銀は物価の安定を政策目標とし、その政策運営の独立性と透明性は日本銀行法により規定されている。

国債引き受けも財政法で禁じられている。

大規模な国債買い入れや長短金利をコントロールする政策は、政府と合意した2%の物価安定目標のもと、日銀自らの判断で実施してきた。

政策レジームは一連の政策行動が将来にわたり繰り返され、そして当局がそれにコミットするという意味を持つ。

そのためには制度的な枠組みも必要となる。

同じ財政赤字と金融緩和でも、日本は通常のレジームを堅持しているからこそ経済の安定が保たれている。

かつてデフレ脱却の処方箋として「ヘリコプターマネー」(貨幣発行でファイナンスされる減税政策)や「インフレが2%に達するまで財政再建を棚上げにして消費税増税を延期すべきだ」との議論(物価水準の財政理論)といった提案がなされた.

仮に各提案を実行すれば、法制度など枠組みの変更を伴う点に留意する必要がある。

MMTを巡る論争に意義があるとすれば、財政政策の選択肢を再考するきっかけになったことだ。

主流派の学者の間でも、財政赤字や公的債務のメリットが見直されるようになった(オリビエ・ブランシャール前米国経済学会長の講演) 。

これまでの前提が近年変化し、安全資産である国債の金利が成長率を持続的に下回っている。
仮にこの状態が持続すれば、公的債務の国内総生産(GDP)比率の発散は抑えられ、財政政策の余地は広がる。

MMTのようなフリーランチは仮定せず、しかし分断された社会の声にも応えていく知恵が主流派経済学にも求められる。

出所:2019/06/03日本経済新聞 
現代貨幣理論を問う(下)政策の枠組み、日本と相違
宮尾龍蔵・東京大学教授
1964年生まれ。ハーバード大博士。専門はマクロ金融。元日銀政策委員会審議委員





MMT(現代貨幣理論)入門

MMTとは何か
マスメディアに登場する経済学者や政策当局は、MMTを「過激な主張」「トンデモ理論」などと小バカにしています。
しかし、実際には、MMTは極めて論理的であり、かつ事実に基づいた正しい経済理論です。
MMTをバカにする人たちは、MMTについてよく知らないで言っているのです

MMTを正しく理解することは、大変重要です。そこで、MMTについて簡単に説明しておきましょう。

MMT(Modern Monetary Theory)は、その名にMonetaryとあるように、「貨幣」から出発する理論です。

現代の世界では、私たちは、金貨や銀貨ではなく、一万円札など、単なる紙切れに過ぎない「お札」を「お金」として使ったり、貯め込んだりしています。

単なる紙切れの「お札」が、どうして「貨幣」として使われるのでしょうか。
この問いに対して、MMTは、次のように明快に答えます。

まず、政府は、通貨(円、ドル、ポンドなど)を法定する。
次に、国民に対して、その通貨の単位で計算された納税義務を課す。

そして、政府は、通貨を発行し、租税の支払い手段として定める。

これにより、通貨には、納税義務の解消手段としての需要が生じる。

こうして人々は、通貨に額面通りの価値を認めるようになり、その通貨を、民間取引の支払いや貯蓄などの手段としても利用するようになる。こうして、通貨が流通するようになる。

要するに、人々がお札という単なる紙切れに通貨としての価値を見出すのは、その紙切れで税金が払えるからなのです。


さて、ここからがMMTの本当に面白いところです。

論理的に考えてみましょう。

そもそも、政府が、国民から税を徴収するためには、国民が事前に通貨を保有していなければなりませんね。
では、国民は、その通貨をどこから手に入れたのでしょうか?

言うまでもなく、通貨を発行する政府からです。

ということは、政府は徴税する前に支出して、国民に通貨を渡していなければならないということになるはずです。

国民に通貨を渡す前に、徴税することはできないからです。

ということは、政府支出が先にあって、徴税はその後だということになります。

こういう論理によって、MMTは、驚いたことに「政府は、支出のための財源として、事前に税を徴収する必要はない」ということを示したのです。


政府支出の実態

政府支出は、税による財源確保を必要としないだって!
いったい、これは、本当なのでしょうか?
それを確かめるために、政府支出がどのように行われているのかを確認してみましょう。

(1)政府支出の基本原理

まず、政府は、中央銀行にのみ口座(日本であれば「日銀当座預金」)をもっています。

日本銀行とは、「日本政府の銀行」なのです。

また、民間銀行も、日本銀行に「日銀当座預金」を開設する義務があります。

日本銀行は、「銀行の銀行」でもあるのです。

さて、以上を踏まえた上で、「日本政府が、公共事業を行うために、建設会社Aに対して10億円を支払う」という例を考えてみましょう。

なお、この日本政府と建設会社Aの取引は、建設会社Aの取引先の民間銀行αが仲介するということにしましょう。

この例の場合、日本政府が10億円支出すると、建設会社Aが開設した民間銀行αの口座の預金が10億円だけ増やされ、それと同時に、民間銀行αの日銀当座預金も10億円増やされることになります。

なお、このオペレーションは、今日、すべて電子システム上の処理によって行われています。

ちなみに、政府が税を徴収する場合のオペレーションは、支出の場合とは逆になります。

つまり、納税者の取引先の民間銀行の口座から納税額分の預金が減らされ、その民間銀行の日銀当座預金もまた、同額だけ減らされるという電子システム上の処理が行われるのです。

さて、先ほどの公共事業の例を、再度、確認してみましょう。

政府支出は、その支出額と同額だけ、民間預金と日銀当座預金の両方を増やしていますね。

では、この例において、日本政府は、最初に支出した10億円は、いったい、どこから調達してきたのでしょうか?

答えは"日本政府自身が作り出したのであって、他のどこからでもありません!

日本政府はコンピューターのキーを叩いて、何もないところから円という通貨を創造したのです。

日本政府は、財政支出を行うにあたって、税によって財源を調達する必要はないのです。

それだけではありません。日本政府は、本当は、国債を発行して財源を調達する必要すらないのです。

そもそも、政府は、自国通貨を発行できます。

ですから、その自国通貨を他者から借りる必要などないではないですか!もしそうだとしたら、では、どうして日本政府は、わざわざ国債を発行しているのでしょうか?

先ほどの建設会社Aに対する政府支出の例で考えてみましょう。

この例の場合、民間銀行αの日銀当座預金は10億円分増えています。

しかし、民間銀行の日銀当座預金(準備預金)の最低必要額は、法律によって決められています(いわゆる「準備預金制度」です)。

準備預金が最低必要額を超えてしまうと、金利が下がることになります。

そこで、政府は、望ましい金利の水準を維持するため、国債を民間銀行に売却して、超過分の準備預金10億円を吸い上げるのです。

つまり、政府がなぜ国債を発行するのかと言えば、それは金利を調節するためなのです。

国債は、財源確保のためには必要ないが、金利を調節するためには必要なのです。

まとめましょう。

@政府が支出を行うと、支出額と同額分だけ、民間事業者の預金が増え、同時に、民間銀行の日銀当座預金もまた、同額だけ増える。

Aそうすると、日銀当座預金の超過が生じて、金利が低下するため、政府は、国債を発行して、民間銀行に売却し、金利の水準を維持する。

Bその結果、財政支出は、それと同額だけ民間部門の預金を増やし、金利は不変となる。


(2)政府支出の実際

(1)は、財政支出の仕組みをやや単純化して説明していますが、実際のオペレーション」は、もう少し複雑です。

というのも、実際には、例えば、予算執行の前に国債が発行されるとか、日本銀行が国債を政府から直接引き受けることは法律で原則禁止されているとかいった、さまざまな制度上の制約が課せられているからです。

こうした制約が本当に必要なのかどうか、疑問の余地はあります。

しかし、仮にこうした制約があった上で政府支出を行ったとしても、結果は(1)の場合と同じなのです。

具体的に見てみましょう(目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』第六章参照)。

@政府は赤字財政支出を行うにあたり、国債を新規に発行して、民間銀行に売却する。

なお、民間銀行が新規発行国債を購入するためには、あらかじめ日銀当座預金を有している必要がありますが、この日銀当座預金を供給したのは、日銀です。

A民間銀行が新規発行国債を購入すると、その購入額分だけ、民間銀行の日銀当座預金が減り、政府の日銀当座預金が増える。

B政府が財政支出を行うと、支出額と同額分だけ、民間事業者の預金が増え、同時に、民間銀行の日銀当座預金もまた、同額だけ増える。

つまり、Aで減った分が戻ってくるので、民間銀行の日銀当座預金の総額は、最終的には不変である。

Cその結果、財政支出は、それと同額だけ民間部門の預金を増やし、金利は不変である。

これが政府支出の実態です。

さて、(1)Bと(2)Cとを比べてみてください。

結局、同じ結果になっていますね。
つまり、いずれの場合も、財政支出は、それと同額だけ民間部門の預金を増やしており、そして、金利の水準は維持されているのです。

この結果から、極めて大事なことが分かります。

それは、「政府の財政赤字をファイナンスしているのは、民間貯蓄ではない」ということです。

実際の財政支出((2))では、確かに、民間銀行が国債を購入してから、政府支出が行われてはいます。

しかし、民間銀行は、民間部門から集めてきた預金ではなく、日銀が供給した日銀当座預金によって国債を購入しているのです((2)の@)。

ですから、民間貯蓄は、政府支出の原資ではない。その逆に、政府支出が、それと同額の民間貯蓄を増やしているのです((2)のB)。


租税は、何のためにあるのか

このように自国通貨を発行する政府は、税を徴収して財源を確保する必要はありません。

そして、実際に、税で財源を確保することなく政府支出を行っています。

では、政府は、何のために税を徴収するのでしょうか。

すでに述べた通り、政府が納税義務を法定するとその支払い手段である通貨に対する需要が生み出されます。

徴税のおかげで、通貨に相応の経済的価値がもたらされるのです。

また、その結果として政府は、通貨を支払うことで、政策目的の達成に必要な財.サービスを民間部門から調達できるようになります。

例えば、政府が川に橋を架けたいと思えば、建設会社に通貨を支払うことで橋を架けることができます。

あるいは、政府がジェット機を欲しいのならば、航空機メーカーに通貨を支払えば、ジェット機を手に入れられます。

また、政府が、民間に何かの仕事を頼んで、その対価として通貨を支払うことで、仕事を生み出し、失業や貧困を減らすこともできます。

いわゆる景気対策です。

租税は、実は、物価を調整する手段でもあります。

例えば、租税が重ければ、納税のための需要が増えて通貨の価値が上がることから、人々はモノよりもカネを欲しがるようになります。そうすれば、物価は下がる。

言い換えれば、増税は、デフレ圧力を発生させるということです。

逆に、租税を軽くすれば、今度は、納税のための需要が減って通貨の価値は下がります。

インフレ圧力が発生するというわけです。

このようにして、政府は、税負担を操作することで、物価を上下させることができるのです。

他にも、租税は、さまざまな政策目的を達成する手段として必要です。

例えば、累進所得税によって、富裕層により重い税負担を課すことで、所得格差が是正されます。

この場合の租税は、格差是正の手段です。

あるいは、温室効果ガスの排出に対して炭素税を課すと、温室効果ガスが抑制されるでしょう。

抑制させるべきものや減少させるべきものに課税することで、それが可能となるのです。

このように、租税とは、国民経済を調整して、望ましい姿にする政策のために必要なのです。

これまで、消費税の増税は、社会保障の財源確保のためだと説明されてきました。

しかし、MMTが明らかにしたように、税は、財源確保の手段ではありません。

さて、炭素税の例でも明らかなように、温室効果ガスのような「望ましくないもの」「減らしたいもの」に課税をすると、それを抑制することができます。

そうであるならば、消費税は、何を抑制するのでしょうか? 当然、消費を抑制します。

ところで、長期デフレで消費が減り続けている日本で、消費は、「望ましくないもの」「減らしたいもの」なのでしょうか?


出所:奇跡の経済教室「戦略編」 中野 剛志 KKベストセラーズ 2019-07-15



   



財政赤字拡大容認論を問う

超低金利下でも維持不可能 星岳雄・東京大学教授


2014年に伊藤隆敏氏(現米コロンビア大教授)と共著の論文で、日本国債の量が家計の保有する金融資産総額を上回ることで、10年以内に財政が破綻する危険性があると論じた。

日本の国債はほとんど国内で消化されているので財政は心配ないとの見方に対し、限界があることを示した。

だが現在でも全く危機の気配すら感じさせず、政府債務は拡大を続けている。

消費税率引き上げはその後2度延期され、10月にようやく軽減税率やポイント還元などの増税対策により税収増の効果が著しくそがれる形で実現に至った。

それでも市場は国債の将来を全然心配しないかのようだ。

われわれの予想通りにならなかった原因はいくつかある。

最も重要なのは、国債利回り(=利子率)が国内総生産(GDP)伸び率を下回ることはないという仮定が変化したことだ。

その後も利子率は低下し、16年以降は10年物国債利回りがマイナスの場面もある。

利子率が成長率を下回ることがないというのは、経済学では標準的な仮定だ。

10年以上前に経済財政諮問会議で、利子率が成長率をどれくらい上回ると考えるべきかについて、当時の吉川洋・東大教授と竹中平蔵総務相との論争があった。

利子率が成長率を上回るのが正常な状態だと論じた吉川氏に対し、竹中氏は現実的には成長率が利子率を上回ることも多く、両者がほぼ同じ水準で推移する方がむしろ標準的だと論じた。

だがその後の利子率と成長率の動きは、竹中氏も想定していなかっただろう。

利子率が成長率を下回る状態が普通になり、近い将来もこの状態が続くと予想する人が多くなったのだ。

利子率が成長率を上回っていれば、国債の量をGDPで割った国債GDP比率は、放っておけばどんどん上昇していく。

分子の国債が増える速度(利子率)が分母のGDPが増える速度(成長率)を上回るので、国債GDP比率は上昇し続ける。

この状況では、将来のどこかで基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字にしない限り、財政はいずれ破綻する。

ところが利子率が成長率を下回る世界では状況は全く異なる。

分子の増加速度が分母の増加速度を下回るので、一切返済しなくても国債GDP比率は低下していく。

従って日本をはじめ先進国が最近経験している利子率が成長率を下回る状況が長く続くなら、一見巨額に見える国債残高も問題にする必要はなくなる。

ここから低利子率が続きそうな現状では、財政赤字と国債の増加を気にする必要はないという「財政赤字容認論」が生まれる。

さらにゼロ利子率の制約の下で金融政策の有効性が著しく損なわれているような状況では、財政赤字を拡大して景気を刺激する政策が必要だという議論も出てくる。

利子率が成長率を下回れば、返済がなくても国債GDP比率が低下するのは確かだ。

しかし返済がないだけでなく財政赤字があれば、赤字をファイナンス(資金繰り)するために新たな国債発行が必要になる。

さらに財政赤字の額が十分に大きければ、たとえ利子率が成長率を下回っていても国債GDP比率は上昇してしまう。

簡単な事例で説明しよう。前年度末の国債GDP比率が200%、今年度の利子率と成長率がそれぞれ0%と1%とする。
この場合、国債の返済がなくても利子率はゼロなので国債残高は今年度末も変わらない。

一方、GDPは1%増えるので、国債GDP比率は2%(=200%×1%)低下する。

今年度の基礎的財政赤字がGDPの2%以下なら、今年度末の国債GDP比率が前年度末を上回ることはない。

しかし基礎的財政赤字がGDPの2%を超えれば、今年度末の国債GDP比率は前年度末より上昇する。

要するに、たとえ利子率が成長率を下回る状態が続いても、際限なしに財政赤字は続けられないということだ。

低い利子率は財政費用を削減するが、それでも財政赤字には限度がある。

利子率が成長率を永久に1%下回るという極端な仮定の下で、200%の国債GDP比率が限りなく続けられることができるとしても、GDPの2%を超える基礎的財政赤字は続けられない。

最近の日本のように2%を超える基礎的財政赤字が続く状態では、将来のどこかで赤字が2%を切らなければ、最終的には財政が破綻し、何らかの調整を余儀なくされる。

日本の基礎的財政赤字は最近減少しており、GDP比が2%を切る可能性もあるかのように見えるかもしれない。

しかし現在の制度のままでは、年金、医療、介護の関連予算のさらなる増大が見込まれるので、基礎的財政赤字のGDP比は近い将来また上昇し始めるだろう。

冒頭の論文で論じたように、現在の日本の状況はやはり維持不可能なのだ。

利子率が成長率を永久に1%程度下回るとしても。

それでは、なぜ国債市場は危機に見舞われるどころか、利回りがむしろ低下するような状態なのか。

この問いに対する答えも14年の論文と基本的に変わらない。

一番単純なのは、市場は日本政府が近い将来十分な財政改革を実施すると信じていて、それを織り込んで市場利子率が低く抑えられているとの仮説だ。

もしそうであれば、これはかなり危うい均衡だ。

均衡が将来の政策に関する期待に依存しており、その期待は突然変わりうるからだ。

将来の値上がり期待に支えられた資産価格が、期待の突然の変化により急落してしまうのと同じ構図だ。

こうしたバブルの崩壊に類似した国債危機は、マイナス金利の状況でも起こりうる。

金利が成長率を下回っても、維持できる財政赤字には限界があるからだ。

国債危機を回避するには、財政健全化のための具体的プランとその工程表の作成が急務だとするわれわれの論文の結論は、低金利の今でも正しい。

期待がいつ変わるかわからない状態で財政再建の好機を待つ余裕はない。

14年の論文は非常に単純なモデルに基づいたので、必要な財政健全化のプランの具体的内容に踏み込めなかった。

この点に関して、北尾早霧・東大教授らの最近の論文が重要な貢献をしている。

日本の社会保障制度を反映した重複世代モデルを使って、国民年金の支給額引き下げや医療・介護保険の自己負担引き上げ、消費税率のさらなる引き上げといった改革がどれだけ必要になるかを計算している。

こうした研究が今後も積み上げられ、それに基づいた財政健全化の政策が形成されるのが望ましい。

経済学者の多くは、財政赤字を続けて国債を累積することの危険性を指摘してきたが、危機はいまだ訪れず「オオカミが来た」と叫ぶ嘘つき少年になぞらえられることもある。

だがイソップの寓話(ぐうわ)でも最後は本当にオオカミがやってくる。危機の可能性を消し去るには、利子率が低いうちに政府が具体的な財政健全化の道筋を示す必要がある。

<ポイント>
○利子率が成長率を下回る状況は想定せず
○超低金利下でも基礎的財政赤字には限度
○財政健全化のための具体的計画作り急げ

ほし・たけお 60年生まれ。MIT博士。専門は金融・日本経済。スタンフォード大教授などを経て現職

出所: 日本経済新聞 2019/10/08




 

政府の借金は民間の資産

ここで重要なことは、国債発行による政府支出のプロセスを通じて起こった変化が、「国債の100億円増大」と「預金の100億円増大」だということです。

国債は政府部門の負債で預金は民間部門の資産です。

「政府部門の赤字」は「民間部門の黒字」を意味するというのは当たり前の会計学的な事実です。

正確には、海外部門を考慮しなければなりませんが、いまはこれを捨象して話を進めましょう。

こうした会計学的な事実は、イギリスのポスト・ケインズ派経済学者ウェイン・ゴドリーによって「ストック・フロー・一貫モデル(Stock Flow Consistent Model’頭文字をとって「SFCモデル」)」として定式化されて、MMTに取り込まれました(余談ですが、ゴドリーは、オーケストラの指揮者を務めていた時期もある多才な経済学者です。

一般にはあまり知られていませんが、MMTの普及とともにこれから有名になっていくかもしれません)。

「MMTはただの会計学的な事実なので否定しようがない」とか「経済学者よりも経理係や税理士のような実務家のほうがMMTを理解しやすい」といったことが、しばしばMMTの支持者によってつぶやかれて(文字どおりツイートされて)いますが、ゴドリーのSFCモデルのことを指して言っているのでしょう。

借り手がいれば必ず貸し手がいるわけで、考えてみれば当然のことです。

民間部門の中でも、誰かの「債務」は誰かの「債権」を意味しています。

債務というのは金品を支払う義務ということで、債権というのは金品を要求する権利のことです。

私が友達にお金を貸せば、私は債権者で友達は債務者です。銀行が政府にお金を貸せば、銀行が債権をもち政府は債務を負います。そして、債権は、土地やお金などとともに資産に含まれます。

したがって、政府が借金をすればするほど、民間部門の金融資産が増大するのです。

こうしたこともまた、当たり前の事実で重要であるにもかかわらず、主流派経済学者によって見過ごされがちでした。


SFCモデルは何を意味するか?

政府の借金が民間金融資産という天井に達するので、いずれファイナンスできなくなる、などといったことが、日本の政治家や経済学者によって幾度も警告されてきました。

しかし、SFCモデルを踏まえれば、いかにそれがナンセンスな杷憂であるかが分かります。

というのも、政府が借金した分だけ民間金融資産が増えているからです。

民間金融資産が政府への貸し出しに回されているという説明は、まったくもって順序が逆さまになっているわけです。

なお、政府の借金がゼロということは、民間金融純資産がゼロであることを意味します。

果たしてそれは望ましいことなのでしょうか?

そして、政府部門の黒字は民間部門の赤字を意味します。

アメリカのクリントン大統領の時代に政府黒字が達成され、多くの経済学者がそれを肯定的に見ている一方で、ゴドリーやランダル・レイ氏は警告を発しました。

これは、MMT支持者の中ではよく知られた逸話です。

民間部門の赤字の膨張は、企業や家計が過剰に借金してバブルが発生していることを意味します。

バブルはやがて崩壊し金融危機をもたらすことになると予見したので、彼らは政府黒字の達成を否定的に見ていたのです。

しかし、その際にはMMTは大して注目されることがなく、アメリカにせよ日本にせよ、政府部門の赤字が膨らんだいまになって、その正当化のためにMMTが盛んに引っ張り出されるというのは、 なんとも皮肉な話です。


2014年4月の増税前に、多くの著名な経済学者、エコノミスト及び財務省が、増税による景気の落ち込みは一時的なものにとどまると予想していました。

ところが、 彼らの予想は完全に外れて、消費支出はあるべき水準よりはるか下方で推移していたわけです。

景気後退のリスクを冒してまで増税するのはなぜか?

それだけ財務省や自民党内からのプレッシャーが強いのかもしれないし、そうでないのかもしれません。

安倍晋三首相自身が本当にどう考えているのかも分かりませんが、いずれにしても財政再建が目指されているから増税が図られるということは間違いないでしょう。

実際、政府は「2020年度までにプライマリー・バランスを黒字化する」という目標を2013年に閣議決定しています。

これは、政府の支出(正確には、国債の利払いや償還の費用以外の支出)を税収より少なくすることを意味しています(なお、2018年に政府は、黒字化達成の目標を2025年度に先延ばしすることを閣議決定しました。

ですが、黒字化という方針自体を取り下げることはしていません)。

政府の借金は約1100兆円に達していて、日本はいま財政難に直面していると危倶されています。

そして、財政を再建するには、政府支出を減らしたり税金を増やしたりして、政府の借金を減らさなければならないと考えられています。

MMTと政府の借金

しかし、本当に日本は財政破綻の危機にさらされているのでしょうか?

いま、自国通貨をもつ国は財政破綻することはないと主張する「現代貨幣理論」すなわちModernMonetaryTheory 頭文字をとってMMTが注目を集めています。

MMTによれば、円を発行することのできる日本やドルを発行することのできるアメリカでは、財政破綻することはあり得ないというのです。

MMTは、1990年代から存在する非主流派の経済理論、つまり一般的な経済学の教科書には載っていない理論です。

元々「ポスト・ケインズ派」という非主流派の経済学者の集団があって、MMTはそれを母体にして発達してきました。

主流派の経済学者からすれば、ポスト・ケインズ派もMMT派も「異端派」ということになります。

MMTによれば、政府の借金そのものは問題ではありません。

日本政府の借金が2000兆円になろうが3000兆円になろうが、それ自体を恐れたり不安に思ったりする必要はないということになります。

ただし、政府の借金が増えることによってインフレになる可能性はあります。

それゆえに、政府の借金額は過度なインフレにならない程度にとどめておかなければなりません。

日本のインフレ率は、現在年率1パーセント程度(2019年4月時点では年率0.9パーセント)です。

これは、100円のおにぎりが翌年には101円になるという程度の物価上昇です。

日本銀行(日銀)は、インフレ率の目標を2パーセントにおいています。

2パーセントが妥当な目漂だとすると、政府はもっと借金して支出を増やすべきだということになるでしょう。

増税どころか減税すべしということになるし、消費税率は5パーセントに引き下げられるべきかもしれません。

いくら借金しても財政破綻することはないという主張を聞くと、MMTは「トンデモ理論」で、やはり異端派は異端派に過ぎないのではないかと思われるかもしれません。

しかしながら私は、「過度なインフレにならないかぎり、政府はいくらでも借金してかまわない」というMMTの主張は、基本的には正しいと思っています。

実を言うと、「自国通貨建てで借金をしている国が財政破綻することはない」というのは、経済学的にごく当たり前のことを言っており、MMTの専売特許というわけではありません。

他ならぬ財務省が「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」(財務省ホームページ)と述べています。

「デフォルト」というのは債務不履行、つまり政府が借りたお金を返さないことを意味します。

また、主流派の理論について解説した書籍である『新しい物価理論』にもこう書かれています。

銀行券は、もともとは、金貨や銀貨などの本位貨幣への交換を保証する証書だったわけだが、その銀行券自体を貨幣だと決めてしまったときから、銀行券は銀行券としか交換を要求されないという意味でディフォルトしなくなり、その銀行券と信用の基盤を共通にする自国通貨建て国債もディフォルトしないことになった。

国が借金をしていると言っても、国が返す円というお金自体を国が発行しているわけだから、国がお金を返せなくなるという事態は、発生し得ないわけです。

分かりやすく雑な言い方をすれば、国がお札を刷って借金の返済や利払いに充てればよいわけです。

このように、MMTは主流派経済学者であっても受け入れざるを得ない単なる事実(しかし重要な事実)をいくつも唱えています。

ただし、MMTの理論にはこうした単なる事実だけではなく、仮説もあれば、 政策提言もあります。

したがって、私自身はMMTに全面的に賛成なわけではなく、全面的に反対なわけでもありません。

事実の部分についてはまったくその通りだと認めているものの、仮説や政策提言についてはかなりの議論の余地があると思っています。

MMTはブードゥー経済学か?

MMTが提示する仮説や政策提言の当否については、一つーつ丁寧に吟味する必要があるでしょう。

ところが、アメリカでも日本でも、主流派経済学者がMMTを頭から全面否定し、感清的に攻撃するようなことがたびたび巻き起こっています。

経済学者の間ですらもそれほど知られていなかったMMTでしたが、近年になって、まずはアメリカで脚光を浴ひるようになりました。

2019年1月に、 アレクサンドリア・オカシオ=コルテスという人が、史上最年少の女性下院議員になっています。

彼女が、太陽光や風力などの再生可能エネルギーを100パーセントにするための政策「グリーン・ニューディール」の財源として、赤字国債を挙げました。

つまり、政府が借金してお金を調達すればよいというわけです。

その借金を正当化するためにオカシオ=コルテス議員がMMTをもち出したのをきっかけに、ノーベル賞受賞者であるポール・クルーグマン氏などの主流派経済学者を交えた大議論が巻き起こりました。

クルーグマン氏は、MMTを「経済モデルというよりもただの態度」とバカにしたように言っています。

アメリカの経済学者でハーバード大学教授のケネス・ロゴフ氏は、「ナンセンス」と切り捨てました。

アメリカの経済学者で元財務長官のローレンス・サマーズ氏は、「ブードゥー経済学」と切り捨てています。

ブードゥーというのは、ハイチなどで信仰されている呪術的な民間信仰で、科学性に欠ける理論だという揶揄になっています。

要するに「いかがわしい経済学」として唾棄しているわけです。

著名な経済学者が批判しているから間違った理論だと思う人もいるかもしれません。

しかし、主流派経済学者と非主流派経済学者は、昔からたがいに過度にケンカ腰なので、その点を割り引いて見る必要があります。

MMTが母体にしているポスト・ケインジアン(ポスト・ケインズ派経済学者)は、ジョン・メイナード・ケインズが属したケンブリッジ大学を牙城にしていた経済学者とその考えに賛同する経済学者の集まりです。

有名な経済学者としては、イギリスのジョーン・ロビンソンやイタリアのピエロ・スラッファなどがいます。

対する主流派ケインジアン(ケインズ経済学者)の中では、いずれもノーベル賞を受賞したポール・サミエルソンやシエームス・トービンがよく知られています。

同じケインズの名を冠していても、彼らとポスト・ケインジアンはむしろ敵対的な関係にありました。

ポスト・ケインジアンの主導者だったロビンソンは、1970年代に主流派ケインジアンを「バスタード・ケインジアン」(似非ケインズ主義者)と罵って批判の的にしていたくらいです。

ヨーロッパを主な活動の舞台にするポスト・ケインジアンとアメリカを主な活動の舞台にする主流派ケインジアンの間で大西洋を挟んでの大論争が巻き起こったこともありました。

ニュー・ケインジアンVSポスト・ケインジアン

現代の主流派ケインジアンは「ニュー・ケインジアン」と呼ばれています。

ニュー・ケインジアンであるグレゴリー・マンキュー氏やデヴィッド・ローマー氏は、経済学の教科書を著しているので。世界的にかなり名が知られています。

空間経済学の分野でノーベル賞を受賞したクルーグマン氏は、マクロ経済学に関する研究や発言も多く、広い意味ではニュー・ケインジアンと言えるでしょう。

ニュー・ケインジアンは、ポスト・ケインジアンと字面は似ているけれど、かなり内実の異なるグループです。

ニュー・ケインジアンの用いる分析道具は、ポスト・ケインジアンとはかなり異なっており、どちらかというと「新古典派」に近いと言えます。

新古典派というのは、市場はその調整メカニズムにまかせていれば円滑に機能するはずで、政府が介入する必要はないと考える傾向にある経済学の学派です。

ニュー・ケィンジアンと新古典派の双方が、「主流派」と分類されるべきであり、ポスト・ケインシアンはマルクス経済学とともに「非主流派」と位置つけられるべきでしょう。

ニユー・ケインジアンは新古典派ほどではないにせよ資本主義に肯定約です。

それに対し、ポスト・ケインシアンは、自分たちこそケインズの直系と見なしていますが、それとともにマルクス経済学も部分的に取り入れており、資本主義にはそれほど肯定的ではありません。

それゆえ、ニユー・ケインシアンを「ケインズ右派」として、ポスト ケインジアンを「ケインズ左派」として位置つけることもできます。
ポスト・ケインシアンのさらに左側にマルクス経済学があります。

最近の主流派経済学者は、 ポスト・ケインズ派経済学をマルクス経済学同様にナンセンスと見なしてまったく相手にしないか、その存在すら知らないかのおよそどちらかです。

ただし、ポスト・ケインズ派経済学がなんらかの形で脚光を浴びた場合は、全力で叩き潰そうとします。

サマーズ氏が、MMTを「ブードゥー経済学」などと侮蔑するのも、そうした党派的な因縁の一環として見てとれます。

このように、経済学者は派閥に分かれてたがいに争い合う傾向が高い人たちです。

他の学間分野では類を見ないほど派閥争いが盛んで、私はそれを「部族ごっこ」と呼んでいます。

経済学者には原始的な本能を宿した人が多いのか、すぐに部族ごっこが勃発してしまうのです。

それが経済学の面白いところではあるのですが、党派性にこだわるというのは、学者としてのあるべき姿ではありません。

学者たるもの、仲間意識や敵愾心に惑わされずに、何が真実であるのかを徹底して考え抜くべきでしょう。

MMTはアメリカで言わば「炎上」したわけですが、それが日本にも飛び火しました。
2019年5月からは、日経新聞をはじめとする新聞やネットの記事、経済誌などで連日のように取り上げられるようになっています。

しかし、日本でもまたMMTに対する理解を深めたうえでの批判ではなく、主流派からの「異端審間」になってしまっている記事が散見されます。

要するに、異端派として頭ごなしに切り捨てるような態度です。もう少し、丁寧に議論を行う必要があるでしょう。

MMTが提起する議論は、それが正しいにせよ間違っているにせよ、日本の経済学者にとって、いまもっとも重要なテーマと言えます。

なにしろ、政府は借金を増やすべきなのか減らすべきなのかといった大問題に関わってくるからです。

繰り返しになりますが、この問題は、日本の命運を決定づけると言ってもよいくらい重要なものです。

それにもかかわらず、日本でもまた議論が感情的になされていたり、生半可な知識に基づいてなされていたりするのです。本書が、より生産的な議論を行うための土台になればと願っています。

MMTの主要な論点

さて、多くの論点を含むMMTですが、主流派との熱い論争を巻き起こすと思われるのは、

@財政的な予算制約はない

A金融政策は有効ではない(不安定である)

B雇用保障プログラムを導入すべし の三点です。

繰り返しになりますが、「財政的な予算制約はない」と言っても、過度なインフレにならない程度という上限があります。

この上限を度外視してMMTを「トンデモ理論」だと批判する人が散見されますが、それでは藁人形論法になってしまいます。

論敵の主張を藁人形のようにすぐに倒せそうな形に歪めてやっつけているに過ぎないというわけです。

金融政策というのは、日銀のような中央銀行が行う政策で、貨幣量(お金の量)や利子率を操作して、インフレ率や失業率を調整することを目的としています。

MMT派は、このような政策は有効ではないかかなり不安定なので、金融政策は適切な政策ではないと見なしています。

それでは、どのようにしてインフレ率や失業率を調整すればよいかというと、それが「雇用保障プログラム(JobGuaranteeProgram)」です。

よくJGPとかJGと略されていて、希望する失業者をすべて政府が雇い入れて仕事をさせるという制度です。

景気が悪いときに、経済はデフレ気味になります。

その際、JGPが導入されていれば、失業者をたくさん雇入れるために政府支出が増えて、それによって景気が刺激され、物価の下落が抑えられます。

逆に、景気が良いときに、経済はインフレ気味になります。

そうすると民間の雇用が増え賃金も上昇するので、政府に雇われていた人はもっと給料の高い仕事を求めて民間企業に勤めるようになるので、政府の支出が減ることにより景気が抑制され、インフレ率は低下します。

ほとんどの主流派経済学者は、@〜Bのいずれにも否定的です。

私自身は、@「財政的な予算制約はない」については賛成であり、A「金融政策は有効ではない」とB「雇用保障プロクラムを導入すべし」については、頭ごなしに否定するわけではないけれど、かなりの違和感や疑間があるという立場です。

つまり、私もMMTに全面賛成ではありません。

それでも、すでに述べたとおり、現在の日本経済という文脈では、@「財政的な予算制約はない」はとても重要な論点だと捉えており、本書のような書籍を執筆しているわけです。

一点注意が必要なのは、MMTはあくまでも貨幣理論なので、「貨幣とは何か?」という話が理論の中軸を成しています。

そこから、もちろん政策提言も出てくるわけですが、「ある程度のインフレ率になるまで政府の借金を増やしつつ財政支出を拡張すべし」ということを積極的に主張しているわけではありません。

アメリカのMMT派経済学者でニューョーク州立大学教授のステファニー・ケルトン氏は、来日した折に日本経済について間われて、「消費税を増税すべきではない」と発言していました。

他のMM T派経済学者も、間われれば恐らく同じように答えるでしょう。

それでも、財政支出を増やしたり減らしたり、増税したり減税したりして、景気を人為的にコントロールすることを最上のマクロ経済政策と考えているわけではありません。

そうではなく、政策提言としてはあくまでも、「雇用保障プログラム(JGP)」によって完全雇用を実現しつつ、その自動的な調整作用によって、景気をコントロールすべきだと考えているわけです。

したがって、JGPを抜きにして拡張的財政政策を正当化するためにMMTを利用するというスタンスは、MMT派から批判される可能性があります。

その当否はともかくとして、私もそうした批判を受けた者の一人であることを、念のため読者のみなさんにお知らせしておきます。

なお、アメリカのMMT派経済学者でバード大学教授のランダル・レイ氏は、MMTのまさに貨幣的な議論とJGPは地続きであると言いながらも、MMTの説明的な部分を利用したいならば、それも可能である。

MMTの説明は政策立案のための枠組みを提供するが、政府が何をすべきかに関しては意見を異にする余地がある。 と、政策提言部分については、寛容さを示しています。

私は、とくにその政策提言部分について、MMTとは異なる考えをもっています。


出所:MMT現代貨幣理論とは何か 井上智洋著 講談社選書メチエ 2019年12月10日





MMTの誤解を解く

参議院議員  西田昌司

1 MMTの主張が正しなら税金は要らない。

これは完全なる誤解です。

MMTが主張しているのは、財源は税金だけでなく国債の発行も考慮すべきということです。

そもそも、税金だけで予算を組むと言う事は、政府は通貨供給を一切していないと言う意味です。

国債を財源として予算を組むと言うことは、国債発行をして政府が負債を有することにより、その分だけ民間に貨幣を供給していると言うことです。

建設国債の場合には、公共事業等の支払い代金を受けた人に通貨が供給されることになります。

工事代金を受けた人には、工事の売り上げと言う収益を手にすることになります。

公共事業が実行されたことにより、インフラと言う財産が社会に作られることになり、国民は便益を受けます。

赤字国債の場合でも、結果は建設国債と同じです。

赤字国債を財源に財政出動されることにより、社会保障費の給付を受けた人に通貨が供給され、また、便益を受けることになります 。

建設国債、赤字国債を問わず国債が発行され、それを財源にして財政出動された分だけ、国民に通貨供給がされることになるのです。

もしも、税金が無く国債発行だけで予算を組めば、政府は通貨供給を一方的にするだけで、その回収が全くできなくなります。

それでは社会がインフレ化するのは必定です。

社会が過度のインフレに陥らないためにも、富の集中を避け、ある程度均質な社会を作るためにも、税金は絶対に必要なのです。


2 MMTで国債の発行が過ぎれば、通貨の信認が無くなりハイパーインフレになる

これも全くの誤解です。

そもそも、国債発行が過ぎてハイパーインフレになった国は有りません。

世に言うハイパーインフレは、戦争や革命により工場などの生産設備や道路や橋などのインフラが破壊され、極度の供給力不足に陥り起こるのです。

戦後の日本はその典型です。

日本の戦後のインフレは大量に国債を発行してハイパーインフレになったと言われていますが、それは事実誤認です。

真の原因は、終戦直前の大都市への空襲による生産設備の破壊により、物資の供給が極端に低下したからです。

その上、敗戦により外地から一年で五百万人もの引上げがあり、需要の急激な増加がありました。

さらに終戦直後から昭和25年まで、国家予算の10%〜30%がアメリカ軍の駐留経費を終戦処理費として負担させられ、事実上、戦後の復興はできませんでした。

また昭和21年には財産税が課税され、国民所得の250%にもなる国債を全て償還させられました。

国民から財産を取り上げて復興できるはずが有りません。

インフラ再生に手が付けられたのは、昭和25年以降であり、これが極端な供給力不足を生じさせ、ハイパーインフレが発生したのです。

また、ワイマール体制下のドイツは、天文学的な賠償金の支払要求のため金が流出し、兌換紙幣のためマルクの通貨の信認がなくなり、ハイパーインフレになったのです。

また、ジンバブエの場合は、革命により白人を追い出したため生産設備の稼働ができなくなり、供給力が極端に低下したため、ハイパーインフレになったものです。

このように戦争、革命などにより通常の政府の行うべき政策ができなくなる、言わば無政府状態がもたらしたもので、現代の日本の様な民主主義国家では有り得ません。


3 MMTは解放経済では通用しない

MMTは国内だけで通貨が流通している閉鎖経済では通用しても、現実の社会は海外との取引が有る。

国債発行で公共事業などをしても、それにより供給した通貨が海外に投資されれば、MMTの効果は無効になるという主張です。

例えば、国債発行により、公共事業100が発注され、資材など50を輸入する場合には、確かに収益と資産(外貨預金)は海外へ移転します。

これにより、GDPを押し下げることは事実ですが、公共事業100より大きくなることは有り得ません。

海外送金があったとしても、それを差し引いてもGDPは必ず増大することになるのです。

従って、解放経済においてもMMTは通用します。

それでもMMTをどうしても認めたくない人は次の様なことを言います。

a 財政出動をすればインフレになり、利率より高くなれば実質金利低下で円安になり、資源やエネルギー、食糧を輸入に頼る日本はこれらのコストが上がる。円安が続けば、国民生活は破綻する。

b 財政出動で景気が良くなれば円高になる。円高になれば輸出が減るから財政出動は無効化する。

しかし、これらの意見には次の通り反論できます。

そもそも、aの主張はハイパーインフレ論を前提としていますが、事実は先に説明した通り、ハイパーインフレにはなりません。

しかし、多少のインフレは望むところですが、彼らの言う通り、過度なインフレになれば、変動相場制を採用しているため当然円安になります。

仮に円安になれば、その分輸出が大幅に伸びることになるでしょう。

そうすると日本は景気が良くなり、今度は円高に為替は変動することになります。

何れにせよ、変動相場制を採用しているため、海外取引は自動的に調整され利益の一方的な流出はないのです。

bの意見ですが、確かに景気が良くなれば円高に向かうでしょう。

これにより、輸入品の原価が下がり益々景気は良くなるでしょう。

確かに、輸出企業に打撃はあるが、日本は輸出依存率は15%程度であり、圧倒的に内需国です。

そのため、円高になれば輸入品は下がり、国民生活は逆に豊かになるため消費も増えるのです。

内需が増える方が外需が減るより大きいため財政出動が無効になることは無いのです。

また、輸入品の購買が増え、輸入額が増えれば、世界経済にも貢献できるわけで、先進国としての責任を果たすことができるのです。


4 日本は事実上完全雇用を達成しているため、財政出動しても効果がない

日本は、失業率がゼロに近いため、財政出動してもその効果は少ないと言う人がいますが、それは問題の本質を見誤っています。

失業率の改善だけでなく、労働分配率の増加や実質賃金増加を政策目標にすべきなのです。

国民側に所得が分配されるほど個人消費が増え、国民経済を大きく牽引することになるのです。

失業率の改善は勿論のこと、実質的に国民所得が増えているかどうかを政策判断のポイントとすべきなのです。

従って、財政出動により雇用が増えれば、給料を上げないと求人できない状況になります。

財政出動が実質的給与を上昇させることになり、それが個人消費を増やし、景気回復につながるのです。


5 国債発行残高(1000兆円)の通貨を国民に供給して、何故デフレなのか?

1000兆円の通貨を国民に供給して今なおデフレにから脱却できないと言うことは、MMT理論が無効である事を証明しているのではないかと言う批判が有ります。

これも問題の本質を取り違えています。

国債発行により通貨を、つまりは預金資産を国民に供給しても、それを使わなければ経済的には何の意味もないのです。

本来は、政府が供給した預金資産が国民サイドに渡れば、それが消費に使われて経済は成長するはずです。

しかし現実には、企業側に胎蔵され国民サイドに供給されず実質給与が下がり続けたのです。

実質給料が減額した原因も考えておく必要がありますが、私はいくつかの要素が絡み合っていると考えています。

まず第一の原因は消費税の実施によるものです。

消費税では、給与は仕入れ税額控除の対象になりませんが、外注費は仕入れ税額控除の対象になります。

これに、バブル崩壊後、企業のリストラが始まったことによる給与のアウトソーシング化が進んだことが絡みます。

これにより給与を固定費から変動費に置き換えることができ、企業は安定した利益を上げることができるようになりました。

また、この時期、成果報酬を認める経営が普及し出します。

これを促進したのが、所得税の累進構造の緩和です。

かつては住民税を合わせれば、一定額を超えれば9割近い額が課税されていました。

そのため手取りは殆ど増えません。その為、高い報酬を経営者は望まなかったのです。

しかし、累進課税の緩和により高額な報酬をもらっても半分近くは手元に残ることが可能になりました。

これにより、給料を上げるインセンティブが一挙に増加したのです。

また、成果報酬が認められるようになると、給料のアウトソーシング化がますます進みます。

この仕組みにより企業は利益を大幅に上げることができ、経営者はより多くの報酬を得ることが可能になったのです。

また、アウトソーシング化により給料は外注費にかわり、お陰で大企業は消費税額を少なく抑えることが可能になりました。

その一方で、アウトソーシングを受けた企業は、必然的に社員の給料を安く抑えなければ経営が成り立たなくなります。

この結果、一部の経営者が多額の役員報酬がもらう一方で、多くのサラリーマンの給料が安く抑えられる結果となったのです。

これが国民消費を抑え経済をデフレ下させる根本原因を作っているのです。

政府が国債発行により通貨供給をしても、経済がデフレ化するのはここに問題があるのです。

こうしたことを踏まえれば、デフレ脱却のためには消費税を廃止し、一方で法人税を増税し、所得税の累進課税を上げることを検討すべきなのです。

6 MMTには財政上の制約は無いのかMMTは、国債発行は国民への通貨供給という事実を改めて示したものです。

従って、国債発行を悪とは考えていません。

その為、財源がないから予算が組めないと言う発想は無いのです。

このことから、MMTは財政制約がないため予算が膨れ上がり、結局ハイパーインフレに陥ると批判する人がいるのです。

しかし、これは間違いです。

先に述べてきたように、財政が赤字か黒字かと言うことはMMTには意味がありません。

国民経済がインフレかデフレかと言うところに財政規律を求めているのです。

従って、財政上の制約は当然あるのです。

そもそも、財政出動により通貨供給と同時に需要を創造したとしても、それをこなせるだけの供給能力がなければ、単にインフレを作るだけで意味がありません。

供給能力と需要との差を埋めるためには、税金だけではなく国債発行も可能であるということを、MMTは示しているのです。

7 結論

経済は、常に誰かが投資をしない限り成長できません。

経済の血液である通貨は、信用創造による通貨供給により生み出されているのですから、投資が未来永劫行われないと成り立たないのです。

民間企業の行き過ぎた投資は、不良債権を生み出すことになりますが、投資が少なく回収、すなわち貯蓄が過ぎると、経済そのものがデフレ化してしまいます。これは、自転車は走らないと倒れてしまうのと同じ理屈です。

問題はスピード、つまりインフレ率なのです。

自転車が安全に走るためには、ある程度のスピードが必要です。

同じく経済を持続可能にするには、ある程度のインフレ率が必要なのです。

具体的には、2-4%の低インフレ率を目安に財政政策と金融政策でコントロールすれば良いのです。

金利は一度上がれば簡単にコントロールできないなどと言う人がいますが、これは事実誤認です。

戦後の日本の金利の推移を見てもわかる通り、常に日銀のコントロール下に置かれています。

そして、今やマイナス金利まで付けられているのです。

但し、金利はコントロールできますが、こうした政策が正しいかどうかとは別の話です。

また、先進国は豊かなため、基本的に民需が低下する傾向にあります。

そのため、民間経済は貯蓄超過に向かうのです。

つまり、民間需要だけでは国民経済は破綻してしまうのです。

先進国は民間の信用創造が少なく、貯蓄超過の状態にあるという事です。

民間が信用創造による通貨発行を増やしていない状態だからこそ、政府の国債発行による財政出動が必要なのです。

こうした状態で政府が財政出動しなければ、経済はデフレ化し破綻するのは必定です。

これは、スピードがゼロになれば自転車が倒れるのと同じ理屈です。

こうした状況下では、増税や財政再建と言うのは絶対にしてはならない愚策なのです。

民間の信用創造が乏しい時期に増税や財政再建をすれば、その分、必ず民間から預貯金を吸い上げることになるからです。

これは、スピードが落ちている自転車にブレーキをかけるのと同じで、自爆行為です。

そもそも、自国建通貨で発行する国債は破綻しないため、国債の発行残高を気にする必要などないのです。

従って、いわゆるPB縛りは即時撤廃すべきです。

財政均衡は高インフレ時に目指すべきもので、デフレ下ではデフレを加速させるだけで、百害あって一利もありません。

財政均衡主義は、政府の財政を見ているだけで国民経済全体の状況を全く無視した、自己中心主義なのです。

国民経済全体を見るべき政府が自己中心主義に陥れば、国民経済が破綻するのも当然なのです。

出所:http://showyou.jp/free/?id=3691




MMTの提示する「事実」の衝撃

MMT(現代貨幣理論)の登場は、現代の主流派経済学(新古典派理論の後継の諸学説)および傍流のリフレ派理諭の「非現実性を世間に知らしめる契機となり得る。

これまで日本では、主流派の非現実的な論理に基づく経済政策が政財界およびマスコミ界の支持の下、長期に渡り実施されてきた。

新古典派モデルにおける政府の予算制約式にすぎない均衡財政を第一義的に追求するPB目標しかり、外生的貨幣供給論に基づきベースマネーによるマネーストック管理が可能とする量的緩和政策もまたしかり。

権威ある主流派学者の言説に、大半の政治家、マスコミ人、評論家は盲従してきた。

しかし、後述するように、MMTは主流派の論理では決して説明できない「事実」を指摘する。

それも一回限りの特殊な事実ではなく、日常的に行われている実務上の事実である。

具体的には、政府の予算執行および民間銀行の与信行為に関する一般的事実がそれにあたる。

さらに注意すべきは、双方の問題に関する主流派の説明が、事実と全く逆の因果関係を想定していることである。

MMTの登場によって、「MMTと主流派のどちらが正しいのか。どちらを信じるべきなのか」という選択肢が生じた。

これまで主流派学者は現実の経済事象に直面した時、主流派論理の鋳型に押し込めない部分を削ぎ落としてきた。

個別的事実を一般論に馴染まないという理由で無視してきた。

いわば「ベッド(論理)の長さに合わせて、足(事実)を切る」操作をしてきたが、さすがにMMTの提示する一般的事実には通用しない。

どの政府にも、どの商業銀行にも妥当する一般性を有するために、それを「経済学の論理に反する」という理由で棄却することはできない。

一般的事実を説明することが学者の務めだからである。

「足(事実)の長さに合わせて、ベッド(論理)をつくる」という当たり前のことに考えが至ればよいのだが、おそらくそうした良識ある学者は少ないであろう。

大多数の主流派学者は頬かむりを決め込み、嵐が過ぎ去るまで声を潜めて待っているに違いない。

ただし、彼らの思惑通りに事が運ぶとは限らない。

MMTの知見が政治家、マスコミ人、および一般の知識人に受け入れられるにつれて、すなわち 「事実を事実として受け入れる人たち」が増えるにつれて、 退場すべきは主流派学者の方であるとの雰囲気が社会的に醸成される可能性も小さくないからである。


MMTの学問的意義

MMTを簡単に定義するなら、「不換貨幣(現代貨幣)の創造と流通を、会計制度に基づく複式簿記の形で捉える考え方」となろう。

言うまでもなく、現代の管理通貨制度の下で流通している貨幣は、金貨銀貨といった金属貨幣ではなく、また金との交換を保証された兌換紙幣でもない。

不換貨幣なのである。

複式簿記の競点から不換紙幣を捉えるなら、それは中央銀行のバランスシート上の負債項目に記載される。

それゆえ「貨幣は負債」となる。

兌換紙幣の場合、それに対応する中銀の資産項目は金地金であり、金保有が増加しない限り兌換紙幣の増発はできないことになる。

しかし不換紙幣の場合、対応する資産項目は国債となるから、政府の負債を引き受けることによって不換紙幣の増発は容易にできる。

まずMMTの提示する二つの事実とそこから得られる実銭的意義を考察する。

第一に、予算執行における「スペンディング・ファースト」という事実である。

これは字義通り、予算執行は税収に先行すること、いわば「財政支出は税収に基づかない」ことを意味する。

実際、各国の政府は予算執行に当たり中銀に政府短期証券を引き受けきせ、その資金で支出を賄っている(これが本来の「マネタリゼーンョン(国債の貨幣化)」の意昧であるが、日本では後に「財政ファイナンス」なる言葉に改鋳され元の意昧と違って解釈されることが多くなった。

スペンディング・ファーストであれば、一般に予算執行額と事後的な税収にギャップが発生する。

そのギャップが財政赤字なり黒字である。

そのギャップを如何に認識するかがMMTの真骨頂である。

その際、MMTは資金循環分析に用いられる次のような会計上の定義式(事後的に成立する恒等式)を提示する。

財政収支(税収−政府支出)+民間収支(貯蓄−投資)+海外収支(輸入−輸出)=0

MMTはこの式を「部門間の資金の過不足状況と資金調達の関係式」という通常の解釈ではなく、支出面に焦点をあて「部門間の貨幣の受け渡しの関係式」とする独自の解釈を提示する。

この解釈に従えば、財致赤字は民間収支および海外収支の黒字を意味する。

いま海外収支を無視すれば、財政赤字は民間収支の黒字となる。

すなわち、財政赤字は民間経済への純額の貨幣注入(所得創出=預金増)を意味するのであり、逆に財政黒字は、民間保有の貨幣の吸収(所得収奪=預金減)を意昧する。

さらに通貨発行当局を傘下に置く政府にとって、「自国通貨建て国債は償還不能に陥ることはない」という事実を加えれば、MMTの主張は明らかとなる。

すなわち、「財政とは政府と民聞の貨幣授受を意昧するゆえ、民聞経済の状況を無規して財政運営を考えることは不適切である。

また政府債務の累積は、過去の民間への貨幣注入(所得創出)の記録に過ぎず問題とはならない」ということである。

注意すぺきは、これは財政運営を考えるにあたっての、事実を提示しているだけで、実際にどのように運営するかは各国の置かれている経済状況に依存することである。

MMTはあくまでも論理であり、政策的含意を有するものではない。

MMTの知見からすれば、財致赤字は単なる民聞経済への貨幣注入にすぎず、問題とはならない。

また理論上、自国通貨建て国債の発行に制限はない。

すなわち財政運営は、税収に基づく必要がないため、主流派の提示する政府の予算制約式に縛られることはない。

ただし、それは野放図な財政規模の拡大を意味するものではない。

民間経済の資源の賦存量は有限だからである。

それゆえ民間経済を配慮した財政運営とは、公需の増加によるインフレ圧力を如何にコントロールするかが問題となる。

MMTの財政運営にとって、制約となるのは税収ではなくインフレなのである。

MMTの提示する第二の事実は、商業銀行の与信行為における「万年筆マネー」という事実である。

スペンディング・ファーストが政府部門と民間部門間の不換貨幣(現金通貨〕の創造と流通に関する事実の指摘であったのに対し、万年筆マネーは民間部門内部の不換貨幣(預金通貨)に関するそれである。

具体的には、商業銀行の与信行為は、当該銀行の保有する預金を原資とするものではなく、銀行の担当者が融資を希望する企業なり個人の預金通帳に融資額を記帳することによって行われているという事実である。

すなわち現実の信用創造とは、あたかも「無から有を生じる」ように行われているのである。

もちろん、信用創造が預金に制約されないからといって無制限に融資が実行されるわけではない。

その制約となるのは融資を受ける側の信用度である。 信用リスクが融資の制約となる。


主流派経済学者とって不都合な事実

MMTは現代貨幣をめぐる一般的事実を説明する論理である。

対するに主流派経済学は「現代貨幣」を説明するすべを持たない、すなわち現代を語るには不適当な、金属貨幣時代の古い論理体系といえる。

その理由を三点示しておく。

第一に、主流派論理は、物々交換経済を前提に構築されたワルラスの一般均衡論を精緻化した体系であるため、貨幣なしに一般均衡(個人と全体の調和)が成立する。

そこでの貨幣は絶対価格水準を決定する役割しかない。

物々交換経済と接合可能な貨幣を強いて挙げれば、金属貨幣しかない。

例えば、金貨で物財を購入することは、金貨に含有される金と物財の物々交換と解されるからである。

主流派は金属貨幣時代の論理であって、体系内で不換貨幣を定義することさえできない。

第二に、主流派論理では民間経済が常に均衡状態にあることが保証されている。

それゆえ民間経済の均衡と整合的な財政運営が均衡財政となる。

しかし、現実の経済は景気変動を免れず、現在も世界は長期的停滞に見舞われている。

MMTはあらゆる経済状態とも整合的な財政論を提示するが、均衡財政論は限定的にしか妥当しない。

すなわちMMTは均衡財政論を包含した論理と言える。

第三に、主流派論理は現実の信用創造過程(万年筆マネー)を説明できない。

新古典派の「貸付資金市場」は、誰かの貯蓄を他の誰かが借りて使うことを想定している。

その場合、金融機関は貯蓄を原資として又貸しする。

いわゆる金融仲介機能しか果たさない。

もしも現代の金融機関がすべて預金取り扱いのできない、すなわち預金通帳を発行できない「ノンバンク」だけなら成り立つが、それは机上の空論であろう。

主流派経済学は「サラ金経済」を前提とした論理なのである。

(出所:MMTと主流派経済学者の危機 青木泰樹 表現者クライテリオン2019September)



 


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