貨 幣 発 行
信 用 創 造

オズの魔法使い
金貨供給量・金本位制
MARKET
テクニカル分析
GDP
税の源泉


貨幣はデータに過ぎない

いまの日本経済という文脈では、MMT(Modern Monetary Theory 現代貨幣理論)のもっとも重要な主張は、「財政的な予算制約はない」ということになるでしょう。   
    
もう少し正確に言うと「自国通貨をもつ国は過度なインフレにならないかぎり、政府はいくらでも借金できる」というものです。


その背景にあるのは、貨幣というのは約東事であり記録に過ぎないという考えです。

1万円札というのはただの紙切れであり、日本銀行が「1万円」として印字しているから、価値をもっているに過ぎません。

紙幣というのは「紙の約東」なのです。

1万円札を1枚発行するコストはわずか20円ほどなので、政府は国民にお金を返そうと思ったら、お札を印刷して返せばよいのです。

血税を搾り取って、借金の返済に充てる必要は必ずしもないというわけです。

さらに言うと、世の中に出回っている貨幣は「現金」と「預金」から成り立っていて、ほとんどのお金は預金です。


預金の正体は何かと言うと、いまではコンピュータ上のデータに過ぎません。

銀行に100万円のお金を預金しているからといって、銀行が100万円分の紙幣を金庫に入れて保管しておいてくれるわけではありません。

銀行のコンピュータ上に100万円に相当するデータがあるというだけのことです。

貨幣がコンピュータ上のデータに過ぎないのであれば、いくらでも無から貨幣が作り出せることになります。

コンピュータがない時代には、帳簿がその役割を果たしていました。

帳簿に100万円と書けば、100万円がそこに生じたことになります。

MMTでは、「万年筆マネー」という言葉が頻繁に用いられます。

これは、まさに万年筆で帳簿に書き入れることによってお金が生まれることを意味します。

なお、「万年筆マネー」は、MMT派ではなく主流派のノーベル賞受賞経済学者であるジェームズ・トービンの言い出した言葉として知られています。

MMT派では、「キーストローク マネー」という、より現代の実情に即した言葉も使われます。

これは、コンピュータのキーボードを叩くことで、いくらでもお金を生み出せることを意味します。

こうしたことは当たり前の事実を言っているだけで、MMTの専売特許というわけではありません。

ただし、主流派経済学者はともすると、貨幣を無からいくらでも作り出せるという事実を忘却したかのような物言いをすることがあるので、MMT論者としては改めて強調しておく必要があったのです。

主流派経済学者は(みんながみんなではありませんが)、貨幣をあたかも石油や金属のような希少な資源であるかのように見なしがちです。

それゆえに、政府支出は必ず税でまかなわなければならないと考えてしまい、貨幣を作り出してそれを支出に充てるという方策を採用したがらないのです。

政府が支出してから国民は納税する

当たり前ですが、私たちは通常お金を作らないし、作ったとしてもそれで納税はできません。

したがって、まず政府がお金を使わなければ、私たちは納税すべきお金を得ることができません。

「支出が先で、租税は後」というわけです。

MMTでは、これを「スペンディング・ファースト」と呼んでいます。

「支出」(スペンディング)が「最初」(ファースト)ということです。

主流派経済学では、まず租税があってそれを財源に政府支出を行うと考えます。

それに対しMMT では、まず政府支出があって、国民はそれによって得たお金を納税します。

MMT派経済学者のレイ氏が言うように、近代的な貨幣制度が確立する以前であれば、スペンディング・ファーストは明瞭な事実です。

というのも、コインで納税するのであれば、国王や領主などの主権者がまず発行したコインを支出に充てなければならないからです。

政府支出なしに私たちが納税できないのは、考えてみれば当たり前のことです。

ただ、日銀のような中央銀行を主軸とした近代的な貨幣制度の下では分かりにくくなっています。


税金は財源ではない

MMTが言うように、まず政府支出ありきというのであれば、租税は財源としては必要ないという話になってくるわけです。

そうかといって、MMTは税金をとらない国「無税国家」を推奨しているわけではありません。

租税がなければ貨幣は価値をもちません。

逆に言うと、租税の目的は貨幣を流通させるためにこそあります。

そのような貨幣の有様を指してMMTは「タックス・ドリブン・マネー(租税駆動型貨幣)」と言っています。

租税が貨幣の価値を保証するという見解は格別変わったものではありませんが、MMTは「租税の目的は貨幣の価値を保証することにある」と主張する点において独自性があります。

租税の目的は財源の確保にあると誰しも思うでしょうし、ほとんどの経済学者もそう考えています。

ところが、MMTでは、租税の目的が財源の確保であることを明確に否定しています。

政府は国民に対し、納税義務を課します。

貨幣は納税義務を果たすためのチケットであり、国民はこのチケットを手に入れなければなりません。

それゆえに、このチケットつまり貨幣は価値をもつのです。

租税はそのためにこそあって財源ではないので、貨幣を市中から回収してしまったら用済みです。


前述したとおり、そもそも貨幣のほとんどは預金であってコンピュータ上のデータです。

たとえば、私たちが100万円を紙幣で納税しても、結局は政府預金(政府が中央銀行にもつ当座預金)のデータとして、100万円が加わるだけのことであって、政府自身が紙幣を手に入れて支出に充てるわけではありません。

納税者が税務署に紙幣で支払うと、スタッフはデータ入力した後に紙幣をシュレッダーにかけそのすべてを廃棄してもほとんど問題にはなりません。

紙幣が必要ならばまた20円ばかりのコストを掛けて印刷すればよいのです。

1万円札を廃棄したら、1万円の富が失われる。

私たちミクロな個人はそう考えてしまいがちです。

しかし、1国の経済というマクロ的視点で見たら、1万円札を廃棄しても失われる富はせいぜい20円です。

政府は紙幣が欲しいわけではないし、貨幣を欲しているわけでもありません。

政府はキーボードを叩けば、自分の預金口座にいくらでも貨幣を生み出すことができるからです。


銀行がお金を作る仕組み

MMTが立脚する貨幣論には、「租税貨幣論」の他に「信用貨幣論」があります。

これは、「信用」から貨幣が生じるという理論であり、イギリスの経済学者ラルフ・ホートリーによって最初に唱えられました。

「信用」というのは、経済・金融の分野でよく使われる用語で、債権・債務の関係を意味します。

つまり、お金の貸し借りの関係ということです。

経済学を習ったことのない人の中には、貨幣のすべては日銀のような中央銀行によって発行されると思っている人が少なくないでしょう。

しかし、実際には貨幣の多くは、みずほ銀行やりそな銀行といったような民間銀行によって作られます。

民間銀行は企業などへの貸し出しによって貨幣を創造するわけで、そのことを「信用創造」と言います。


信用創造について、一般的な経済学の教科書に載っているような説明をしてみましょう。

たとえば、Aさんが民間銀行に100万円の預金をしたとしましょう。

次に、民間銀行がこの内10万円だけを保管しておいて、残りの90万円を現金でBさんに貸し出したとします。

この時点で、Aさんは自分のお金が100万円分銀行にあると思っているし、Bさんも自分は90万円を手にしていると思っていることになります。

現金だけではなく、預金もお金だと考えているわけです。

すると、世の中にはいま、これらの合計である190万円のお金が存在することになります。

元々100万円だったお金が190万円に増えているので、貨幣量が増えていることになります。

これが信用創造です。

なお、Bさんが90万円を銀行に預けると、預金貨幣が100万円から190万円に増えたことになります。

この場合、最初にAさんがお金を預けたことによって作られた預金貨幣を「本源的預金」と言い、Bさんがお金を預けたことによって作られた預金貨幣を「派生的預金」 と言います。

以上のことは、詐欺かなにかのように思われるかもしれません。

ですが、このメカニズムは、マクロ経済学のほとんどの教科書に載っている信用創造についての標準的な説明です。


ところが、この「標準的な説明」は実情とはかなり異なっています。

MMTはその点を強調します。

すなわち、預金があって貸し出しが行われるのではなくて、貸し出しの際に預金が作られるというわけです。

さきほど、Bさんに対し現金で90万円貸し出しました。

しかし、現在では銀行が現金で貸し出しを行うことはまずありません。

その代わりに、Bさんに銀行口座を作ってもらい、その口座に90万円と書き入れることで、お金を貸し出します。

このとき、預金貨幣は190万円となり、貨幣量が増大します。

Bさんの口座に90万円と書き入れる代わりに、いきなり700万円とか5000万円と書き入れることも可能です。

銀行が作るお金もコンピュータ上のデータに過ぎないので、キーボードを叩くだけで預金貨幣を創造し貸し出すことができます。

そうすると、最初にAさんが預け入れた100万円というのは貸し出しの際の制約にはもはやなり得ません。

これは突飛なように聞こえるかもしれませんし、マクロ経済学の教科書にはほとんど載っていないことです。

しかし、銀行業の実務に精通している人にとっては当たり前の事実です。

たとえば、三井銀行の社長だった板倉譲治はこう言っています。

銀行の場合には貸出しによって創造される資金自体をその貸出しの元手として使用することが出来るのであって、予め別に資金を用意していなくても貸出は可能なのである。

すなわち、民間銀行は資金を集めて貸し出すのではなく、自ら貨幣を作り出してそれを貸し出すのです。

主流派経済学者は、まず家計が民間銀行に預金し、その預金を基に企業に貸し出しを行うと考えがちです。

これを「又貸し説」と言います。

その後企業は、賃金や配当といった形で家計にお金を供給します。

しかし、この順番だとそもそも家計は最初に預金すべきお金をどこから得たのか謎が残ります。

それに対し、MMTはまず貸し出しの際の預金通貨の創造があり、そのお金を企業は投資や賃金の支払いに使います。

賃金を得た家計はそのお金の一部を預金します。

要するに、MMTが主張しているのは、又貸し説は間違いであって、万年筆マネー論が正しいということです。

貸し出しの際に預金通貨が創造されるということは、貸し出しを行う度に世の中に出回るお金「マネーストック」(現金+預金)が増えていくことを意味します。

板倉はこうも述べています。

貸出がふえることによって、その結果として、マネーサプライが増えるのであり、マネーサプライを増やせば貸出が
ふえるなどと考えるのは逆であり、誤解であります。

「マネーサプライ」は「マネーストック」と同じ意味の言葉で、世の中に出回っている貨幣のことです。

板倉は、民間銀行が貸し出しを行うことによってマネーストックが増大すると言っているわけです。

そうであれば、企業や政府は民間銀行からいくらでもお金を借りられるということになります。


これは重要な意味を持っています。

というのも、国民の保有する預金の残高という上限があるので、政府の借金が増大し続けるような状態は持続不可能であり、それゆえに増税すべしと主張した経済学者が少なくなかったからです。

彼らは、預金が貸し出しに回っているのであり、政府が民間銀行から借金を続ければいつかは預金でまかない切れなくなり、それ以上の借金は不可能になると考えていたのです。

しかし、実際には貸し出しの度に預金は増大していたので、預金残高は上限としての意味をなさなかったのです。

出所: MMT 現代貨幣理論kとは何か 井上智洋著 講談社選書メチエ 2019-12-10




「預金準備制度」 :一定の率での預金準備(日銀当座預金)を義務づけるような制度

1999年以前の日本は、法定準備をギリギリ満たしている状態で、その基準を超えて預金準備を蓄えるということがほとんどありませんでした。

しかし、ゼロ金利政策導入以降は、法定準備を大幅に超えた預金準備を蓄えるようなっています。

2種類の貨幣:「預金準備」 (日銀当座預金)とブタ積み(超過準備)


マネタリーベースとマネーストック

預金準備と現金をまとめて、「マネタリーベース」と言います。 

預金準備は、 民間銀行が中央銀行に預けているお金なので、世の中には出回っていかないのです。

マネタリーベースは、中央銀行が直接発行できるお金です。

それに対し、「マネーストック」(現金+預金)は、世の中に出回っているお金です。

預金準備は、 民間銀行が中央銀行に預けているお金なので、世の中には出回っていかないのです。


貨幣制度について理解するために、ここで「預金準備」の説明もしておきましょう。

私たちは民間銀行にお金を預けるために預金口座をもっています。

それと同じように、民間銀行は中央銀行にお金を預けるために当座預金の口座をもっています。

日本であれば、この預金は「日銀当座預金」と呼ばれています。

この当座預金に貯まっているお金を「預金準備」と言います。

民間銀行のバランスシートでは、資産側に預金準備、国債、貸出があり、負債側に預金があります。

複式簿記になじみのない人は、民間銀行の保有する資産である預金準備、国債、貸出と同じだけの預金があると考えてもらえれば十分です。

預金準備と現金をまとめて、「マネタリーベース」と言います。

マネタリーベースは、中央銀行が直接発行できるお金です。

それに対し、「マネーストック」(現金+預金)は、世の中に出回っているお金です。

預金準備は、 民間銀行が中央銀行に預けているお金なので、世の中には出回っていかないのです。

家計が預金準備を扱うことは基本的にはありません。

家計は、現金や預金で買い物をしますが、預金準備で買い物はしないのです。

一口に貨幣量と言っても、マネタリー ベースなのかマネーストックなのか明確に分けて考えることが重要です。

経済学者にも両者をごっちゃにさせて論じている人が少なくありません。


マネタリーベースに対するマネーストックの割合を「信用乗数(貨幣乗数)」と言います。

主流派のマクロ経済学の教科書では、この信用乗数が一定であるかのような説明がなされていることがあります。

もし一定であれば、中央銀行がマネタリーベースを増大させれば、同じ割合でマネーストックが増大することになるでしょう。

そうすると、マネーストックは中央銀行によってコントロールできるということになります。


それに対し、MMT派経済学者のみならず金融の実務に通じたエコノミストからも、信用乗数は一定ではないということがたびたび強調されています。

たしかに信用乗数は、マネタリーベースに対するマネーストックの割合として、後から計算されるものであって、最初から定まっているものではありません。


マネタリーベースを減少させることでマネーストックを減少させられても、マネタリーベースを増大させることでマネーストックを増大させることは必ずしもできなくて、その際に信用乗数が低下してしまうことがあります。

これはよく、「ひもで引っ張れても、ひもで押せない」というたとえで説明されています。


実際に、1999年のゼロ金利政策導入以降は、マネタリーベースの増大率が劇的に高まっても、マネーストックの増大率はほとんど影響を受けず、およそ2パーセントの低位安定状態にありました。

これを私はマネタリーベースとマネーストックの「デカップリング」と呼んでいます。

預金に対してどの程度の預金準備が必要かということは、法律で定められており、その割合を「法定準備率」と言います。

預金準備の預金に対する割合は法定準備率以上でなければなりません。

たとえば、法定準備率が1パーセントで預金が200万円であれば、2万円以上の預金準備が必要ということになります。

つまり、2万円が最低限必要な預金準備であり、これを「法定準備」と言います。

このように、一定の率での預金準備を義務づけるような制度を「預金準備制度」と言います。

1999年以前の日本は、法定準備をギリギリ満たしている状態で、その基準を超えて預金準備を蓄えるということがほとんどありませんでした。

しかし、ゼロ金利政策導入以降は、法定準備を大幅に超えた預金準備を蓄えるようなっています。

これは「超過準備」あるいは俗に「ブタ積み」と言われています。

無駄に積まれたお金と見なされているからです。

この超過準備(ブタ積み)の存在こそが、デカップリングが生じた原因と考えられるでしょう。


貨幣は債務証書

貨幣はデータであり記録であると述べましたが、果たして何の記録なのでしょうか?

それは債務の記録ということになります。

MMTでは、貨幣が「債務証書」であることを強調します。

債務証書というのは借金の証拠となる書類ということです。

MMTでは、債務証書を「IOU」と呼ぶことが多いです。

これは I owe you (私は君に借りがある)の略です。

ただし、MMTに拠るまでもなく、現在の貨幣は形式上すべて債務証書です。

現金と預金準備は中央銀行の債務証書で、預金は民間銀行の債務証書です。

国債は、当たり前のことですが政府の債務証書です。

経済学では、政府と中央銀行をまとめて「統合政府」と言います。

MMTでは、統合政府を単に「政府」と言うこともありますが、ここでは主流派経済学の慣例どおり統合政府という言葉を使うことにしましょう。

貨幣が国債同様に統合政府の債務証書であるということは理解しにくいでしょうが、金本位制の時代を考えてみれば腑に落ちるかもしれません。

この時代には、紙幣を日銀に持って行ったら金と換えてくれたのです。

1円札は1円分の金との引換券のようなものだったと言えます。

逆に言うと、日銀は1円札の持ち主に対し1円分の金の支払い義務を負っていたというわけです。

現在の制度は金本位制ではなく管理通貨制度です。

したがって、貨幣は形式上債務であるものの、統合政府が返さなければいけない借金であると見なされるべきではないと私は思っています。

そもそも、いったい何を返すというのでしょうか?

日銀に1万円札を持って行っても、金や銀に換えてくれるわけではありません。

しかしながら、貨幣が統合政府の債務証書であるということにMMTは独特の哲学的な含蓄を込めています。

債務証書たる貨幣が租税を通じ統合政府に戻ってくることによって、統合政府の借金は解消されると考えられます。


貨幣と国債は親類

前述したように、貨幣と国債はいずれも統合政府の債務証書です。

これらが親類であることを理解するのは難しくないかもしれません。

というのも、イタリアで、両者がいかに近いものであるのかを 暗示するような出来事が起きたからです。

2019年9月まで、イタリアの連立政権の第一党は「五つ星運動」で、連立相手は「同盟」という政党でした。

2019年5月にその「同盟」が、「ミニBOT」という国債(短期財務証券)を発行する計画を発表しています。

これは無利子永久債、つまり利子が付かないし満期もない国債です。

満期がないというのは、国債を償還しなくてよい、つまり国債と引き換えに政府がお金を返さなくてよいということです。

利子がもらえないし元本すら返してもらえないような国債を持っていて何の得があるのかと誰しも疑間を抱くでしょう。

ミニBOTは代わりに、納税や決済(買い物)に使うことができます。

要するにこれは貨幣であり、実際にユーロとは別の「第二の通貨」などと言われています。

ユーロ圏の国が貨幣を勝手に発行したら、ユーロの意味がなくなってしまうので、EUの本部からは「またイタリアか、いい加減にしろ!などと怒られています。

結局のところこの計画は実行には移されないようですが、イタリアらしくてやんちゃな、そして微笑ましいエピソードと言えるでしょう。

ユーロ圏の国々は、言わば自国の通貨発行権を放棄しており、私はそれがそもそもの間違いだと思っています。

自国の貨幣量をコントロールできないからです。

ところが、ユーロ圏からの脱却は実際問題困難なので、苦肉の策として案出されたのが、名目は国債でありながらも内実は貨幣である「ミニBOT」というわけです。

ここから分かることは、国債をちょっと変形するだけで貨幣になり得るということです。

貨幣は「決済と納税が可能な無利子永久債」であり、国債は「決済と納税には使えない有利子貨幣」です。

それゆえに、国債が流通していること自体は、貨幣が流通しているのと同様に、インフレを引き起こさないかぎりなんら問題もないと言うこともできるでしょう。

出所: MMT 現代貨幣理論kとは何か 井上智洋著 講談社選書メチエ 2019-12-10




マネタリーベースの解説

マネタリーベースとは、「日本銀行が供給する通貨」のことです。

具体的には、市中に出回っているお金である流通現金(「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」)と「日銀当座預金」の合計値です。

マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」

  1. (1)マネタリーベースの流通現金は、マネーストック統計の現金通貨と異なり、金融機関の保有分が含まれます。

    これは、マネーストックが「(中央銀行を含む)金融部門全体から経済に対して供給される通貨」であるのに対し、マネタリーベースは「中央銀行が供給する通貨」であるためです。

  2. (2)1981年3月以前のマネタリーベースは以下の定義であり、それ以降の計数とは不連続です。

マネタリーベース(1981/3月以前)=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「準備預金額」

  • 「日本銀行が供給する通貨」という観点では、準備預金非適用先(短資会社、証券会社等)の日銀当座預金も含む「日銀当座預金」の方が「準備預金額」より適当と考えられることから、2000年5月に現在の定義に変更し、1981年4月に遡って新しいベースのデータを公表しました。
  1. (3)準備預金額に対する準備率の調整方法

各月の準備率調整後の準備預金額=各月の準備預金額×(基準時点の平均実効準備率/対象時点の平均実効準備率)

基準時点
準備率が最後に変更された月の翌月(現在は1991年11月です)。
対象時点
各月に適用された準備率が変更された月の前月。ただし、準備率が変更された月については当該月を、また、基準時点以降については基準時点(準備率が最後に変更された月の翌月)を、それぞれ対象時点とします。
平均実効準備率
法定準備預金額/準備預金対象債務。
  • 基準時点以降については、基準時点と対象時点が同じになるため、準備率調整前後の計数は等しくなります。つまり、準備率調整の考え方としては、法定準備率が変更された時点で、過去に向かって、最新の準備率に引き直した(調整した)準備預金額を計算していることとなります。
  1. (4)準備預金の直近2か月分は、速報値です。
  2. (5)計数の訂正は、以下のように行っています。
定例的な訂正
例年2月公表時は季節調整替えに伴い、季節調整済計数がデータ始期に遡って修正されます。
誤報告等があった場合の訂正
基礎資料の入手先からの誤報告等が発見された場合、速やかに計数の訂正を行っています。原則として、計数入手後もっとも近い統計の公表日に計数の訂正を行っています。


出所:日本銀行 ホームページ
2015年9月
日本銀行調査統計局






信用創造のカラクリ


まず、中央銀行だけでなく民間銀行もまたお金を作っているということを認識する必要がある。

Aさんが民間銀行に100万円預金をしたとしよう。民間銀行がこの内10万円だけを保管しておいて、残りの90万円をBさんに貸し出したとする。

すると、Aさんは自分のお金が100万円分銀行にあると思っているし、Bさんも自分は90万円を手にしていると思っている。

現金だけではなく、預金をお金だと考えるのである。

つまり世の中には今、これらの合計である190万円のお金が存在することになる。

もともと100万円だったお金が190万円に増えている。

このような形で民間銀行がお金を増やすことを「信用創造」という。

銀行(バンク)に信用創造が可能なのは、消費者金融やクレジット会社などのノンバンクと違って預金業務を営むことができるからである。

なぜ預金業務によってそれが可能になるのだろうか?

信用創造が詐欺行為のように思えるのはなぜだろうか?

預金というのは不思議なもので、私たちは銀行にお金を預けているのか貸しているのか、どちらであるか判断しがたい。

「預金」という字面だけでみると、預けているように思える。

さしあたって、預金は「預け入れ」と「貸し付け」の二重性を帯びているととらえることができる。

私たちは100万円の預金を持っているならば、銀行に100万円のお金を預け入れていると見なすだろう。

このお金は「いつでも引き出して自由に買い物などに使うことができる」と思っている。

しかしながら銀行から見ると、この100万円は借りたお金であり、これまた自由に貸し出しなどに使うことができるお金なのである。

要するに、預金者から見ると預金は預け入れであり、銀行から見ると預金は借りたお金である。

同じお金を双方ともが自由に使えると思い込んでいる。

二人の相手を欺くことにより二股交際が可能になるのと同様に、預金は預金者と銀行の両方に「なたが好きにしていいお金ですよ」などと甘言を弄することによって、信用創造を可能にしているのである。

この二股交際的営みを続けるには、多くの預金者が一斉に多額の預金を引き出すようなことがあってはならない。

「○○銀行は潰れるぞ!」といったデマなどによって人々が銀行に殺到する「取り付け騒ぎ」が起きれば、交際は破局し、銀行は実際に潰れてしまう。

そして潰れてしまった場合、基本的には預金者にお金が戻ってこない。

つまり、二股交際の本命はどちらかというと銀行の方であり、預け入れではなく貸し付けの方が預金の本質である。

根本的には、預金は元本の保証されていないリスク資産なのである。

しかし実際には、そのリスクは部分的に「ペイオフ」によって取り除かれている。

「ペイオフ」というのは、政府が預金の例えば1000万円まで保証し、銀行が潰れても預金者が1000万円までは失わずに済むような制度である。

ペイオフがあるために、預金の本質が貸し付けであることがなおのこと見えにくくなっている。

銀行は無からお金を作り出す

先ほど、Aさんの預金IOO万円のうち、90万円をBさんに貸し出すという想定をした。

しかし、Bさんにお金を貸し出す際に現金を用いる必要はない。

Bさんがこの銀行に口座を持っているならば、銀行はこの口座に90万円と書き入れてあげれば、Bさんにお金を渡したことになる。

だとすると、そもそも100万円という最初の現金が存在しなかったとしても、銀行がお金を貸し出すとともに作り出すことができることになる。

極端な話、銀行は全く現金を持っていなかったとしてもBさんの口座に10億円と書き入れれば、そ瞬間この世の中に10億円のお金が出現したことになる 。

そんなバカな話があるかと思うかもしれないが、お金の本質が情報であり、決まり事であるということに思い至れば、合点がいくだろう。

第-章で紹介したベビーシッター組合のクーポン券も組合内で通用する貨幣のようなものであるが、このクーポン券もただの情 報であり決まり事に過ぎない。

1万円札のような紙幣も情報が印刷された紙切れに過ぎない。

お金は、金や石油のように天然資源ではないので、人間が無から作り出すことができる。

「預金」というお金もまた、今ではコンピュータ上のデータでしかない。

私たちが100万円のお金を銀行に預けても、その100万円が銀行の金庫に保管されるわけではない。

100万円というデータが銀行のコンピュータ上に記録されているだけのことである。

円やドルといった「法定通貨」ではない貨幣ならば、銀行以外の経済主体でも法的に問題なく作り出すことができる。

例えば、買い物の際に使っているポイントカードのポイントも、特定のお店でしか使えないものの種の貨幣と見なせる。

こうした貨幣は、企業が勝手に作り出したものである。

私が非常勤講師を務める早稲田大学の界隈では、「アトム通貨」という地域通貨が流通している。

こうした地域通貨や「ビットコイン」などの仮想通貨も、民間経済主体が勝手に作り出した貨幣である。

それに対し、法定通貨を作り出すことができるのは、基本的には銀行だけである。

消費者金融などのノンバンクは、貸し出すための資金をどこからか調達してこなければならない。

バンク(銀行)はその必要がなく、無から日本円を作り出して貸し出すことができる。


民間銀行は資金を集めて貸し出すのではなく、自ら貨幣を作り出してそれを貸し出すのである。

したがって、市中銀行は潜在的には無際限に預金というお金を創造することが可能である。


しかしそれだと、マネーストックが増え過ぎてハイパーインフレーションを引き起こすかもしれない。

それに、預金ばかりが膨らんでしまうと、人々が銀行からお金を引き出そうとする際に応じられないかもしれない。

そこで、民間銀行は預金のうちの例えば1%を準備金として保有しておかなければならないなどと法律で定められている。

この率を「法定準備率」という。

市中銀行は「法定準備率」という制約によって無際限の信用創造を妨げられているのである。

例えば、100万円預金があったら最低でもその1%の1万円は「預金準備」として保有しておかなければならない。

この時の1万円を「法定準備」という。

つまり、現実の預金準備は法定準備以上でなければならない。

この場合、1万円以上預金準備を保有しなければならないということになる。

逆に言うと、預金準備が1万円の場合そのlOO倍の100万円まで信用創造によって預金貨幣を作り出すことができるということになる。

こちらの言い回しの方が銀行業務の実情に近い。


日銀が買いオペを行うと、国債買い入れの代金がその民間銀行の日銀当座預金に振り込まれ、預金準備が増大

する。


法定準備率を1%として、預金準備がもし1万円から3万円に増えたならば、100万円から300万円まで預金貨幣を増やすことが可能となる 。


出所:ヘリコプターマネー 井上智洋 日本経済新聞出版社 2016-11-24





経済学と信用創造-商品貨幣論と主流派の本源的預金の矛盾
 2019.09.09 10:54
高橋聡-ヤン・ウェンリー命  https://so-t.biz/

本稿では、主流派経済学のいう信用創造の矛盾点を指摘します。

端的にいえば、又貸し理論の矛盾点です。

この矛盾を指摘することで、商品貨幣論や主流派経済学の矛盾も顕になるでしょう。

とすると、現代貨幣理論(MMT)の正当性も主張できると考えます。

とはいっても、難しいことでもありません。

知識として必要なのは「誰かの債務=誰かの債権」という、ごくごく当たり前の経済原則だけです。

信用創造(しんようそうぞう、英: Money Creation)とは、銀行が初めに受入れた預金 (本源的預金) の貸し付けによって預金通貨を創造できる仕組みを表す。

これが又貸し理論です。

最初の本源的預金ってなんだ? というわけ。

ちなみに色々探しましたが、本源的預金の正体を、答えてくれるテキストは皆無でした。

本源的預金とは何なのか? の可能性を探る

主流派経済学の信用創造では、「銀行が融資したら、お金(預金通貨)が生まれる」という信用創造を採用してません。

「誰かの債務は、誰かの債権」は、経済原則です。

銀行にとって預金とは、負債です。

では本源的預金とは、銀行に預金する前に「債権だけが、存在していた」はずです。

これが主流派経済学の信用創造、又貸し理論の矛盾点になります。

本源的預金という「仮想の設定」は商品貨幣論から来ているのでは?

主流派経済学の貨幣論は、商品貨幣論です。

商品貨幣論とは、突き詰めれば物々交換経済です。

タドリー・ディラードが、主流派経済学を「物々交換幻想」と言ったように。

物々交換であれば、本源的預金が「生産によって生じた」と設定可能なのではないか? と思います。

つまり生産して、自分では消費しきれない”余剰”が商品となり、その商品は商品貨幣論では貨幣も一緒。

こうして本源的預金を想定したのではないか? と類推します。

しかし民俗学者、歴史学者の間では「太古から、物々交換経済の証拠は見つかっていない」のです。

むしろ見つかるのは、太古の昔から貨幣=負債であり、貨幣は「債務と債権の記録であった」という証拠ばかりです。

それも当然です。なぜか?

 物々交換には、弱点があります。

「自分の持っているモノを、相手がほしいとは限らない」からです。

つまり、2重の条件が生じるのです。

相手が欲しいモノを、自分が持っている

自分が欲しいモノを、相手が持っている

なかなか、難しい条件でしょう。

上記を満たすよりは、太古の小さな共同体内では「貸し借りや、譲渡と返礼の風習」があった。

とするほうが、よっぽど説得力があります。

なぜ主流派経済学は、信用創造を理解できなかったのか?

本源的預金とは、表現を変えれば「誰かが、純粋債権(誰の債務でもない資産)を持っていた」ということです。

現代貨幣理論(MMT)の信用創造、つまりMoney Creationのほうがしっくりします。

余談ですが、日本語版Wikipediaの又貸し信用創造は主流派経済学ですが、英語版Wikipediaでは現代貨幣理論(MMT)の解釈が書かれています。
参照:Money creation – Wikipedia

英語圏ではすでに、主流派経済学版の又貸し信用創造は「過去の説」であり、間違った説になっています。

※日本語版Wikipediaの信用創造の議論は、なかなかひどいことになっています(笑)

主流派経済学はスタンフォード大学の教授、ポール・ローマーによれば「他の分野の学問を、一切無視する人たち」だそうです。

ゆえに社会科学的にありえない仮定を、平気で設定するようです。

リフレ派の「日銀がマネタリーベースさえ増やせば、非金融部門が借りてくれるはず」という「ありえない設定」もその1つです。

主流派経済学はサプライサイド(供給側)から、考えます。

したがって「お金を誰かが需要したら、お金が生まれる」というオンデマンドサイド(需要側)は彼らにとっては、理解ができなかったのではないか? と思われます。

又貸し信用創造でいえば、「本源的預金という供給があって、そこから信用創造される」と考えたのではないか?と類推します。

現代貨幣理論(MMT)の正当性は、まさに「貨幣論であるから」

主流派経済学は、200年以上に渡って貨幣論を封印してきました。なぜか? 

イギリスでジョン・ロックとアダム・スミスが、貨幣論で失敗したからです。

参照:21世紀の貨幣論(フェリックス・マーティン)

経済を論じる以上、貨幣とはなにか? は土台です。

そして貨幣とは、はるか昔から使われてきたのですから、歴史からその本質がわかるはずです。

そして現代貨幣理論(MMT)の言う通り、貨幣とは特殊な負債でした。

この”事実”から理論を積み重ねない限り、間違えるのは明白でしょう。

主流派経済学に、多くの仮定や設定、フィクションが必要なのは「最初から間違えていたから」に他なりません。

少なくとも、貨幣論や金融論ではそうです。

主流派経済学のいう又貸し信用創造の、本源的預金という「フィクション」は、現代貨幣理論(MMT)の正当性に説得力をもたせるのではないか?

上記のように提示して、議論を終えたいと思います。

正しい信用創造とは?6分で読める世界一わかりやすい信用創造の解説
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 2019.12.23 18:36 2019.04.17 07:00

経済や現代貨幣理論(MMT)を学び始めますと、一番最初につまずくのが信用創造だと思います。

一般的な生活感覚から「なぜお金が創造されたり、消滅したりするの? え、なんで?」と私もなりました。

信用創造(貨幣創造)とはなにか?

信用創造というとわかりにくいですが、貨幣創造と表現すればいかがでしょうか? 

信用創造とは「お金が創造され、市場に出回り、消滅する」という現象のことです。

今回は民間銀行と民間市場を前提に、解説を進めます。

万年筆マネーと銀行口座

ジェームズ・トービンという経済学者が、信用創造を「万年筆マネー」と表現したことは有名です。

万年筆で銀行が口座に数字を書き込めば、その口座にお金が生まれる(創造)、という現象を万年筆マネーと表現しました。

「誰かの債務=誰かの負債」「誰かの負債=誰かの資産」という事実を、まずは覚えてください。

では銀行があなたに1000万円を貸しました。現金で? 通常は口座に数字を書き込むだけです。

この1000万円を、家を買うのに必要だったとしましょう。

あなたは銀行から現金をおろして、不動産業者に持ち込みますか? 普通は口座から口座に振り込むだけですよね?

あなたが銀行から1000万円借りたときに、信用創造(貨幣創造)が起きたのです。

なにせ、数字を書き込むだけで、1000万円が生まれたのですから。

このとき、銀行は全口座の預金残高が1円であろうと、1000万円をあなたに貸出できます。

大切なのは、あなたに返済能力(稼ぎ)があるかどうか? だけなのです。

逆説的に、銀行は預金残高に関係なく、(借り手に返済能力があるなら)いくらでも貸せる、ということです。

なぜなら、あなたが銀行に作った口座に、銀行が数字を書き込むだけだからです。

現金で考えると、信用創造は理解できない

信用創造の説明は上述したことで、ほぼ終了です。

注意点は現金で考えない
、というところです。

バランスシート(賃借対照表)を理解しないと、信用創造は理解が非常に難しいのです。

現金で考えてしまうと、100兆円ほど発行されている現金が、グルグルと銀行や民間を回っているイメージになってしまいます。

しかし現実として日本国家全体のバランスシートは約7500兆円、日本の産業市場規模も968兆円です。

民間銀行では貸出で信用創造され、返済で貨幣が消滅する

信用創造(貨幣創造)の意味合いは、「市場に流通する貨幣の創造」というイメージです。

貨幣は使用されないと、需要も消費も発生しません。

「わたくし」が1億円を返済し終わると、再びバランスシートは無になります。

つまり、1億円という貨幣が消滅するのです。

貨幣は「創造、移動、消滅」のプロセスをたどります。

そのプロセスの中で、実体経済は仕事や投資が付加価値を生産し、豊かになっていくというわけです。

預金は政府支出によって発生するという事実


最後に少しだけ、政府の支出と信用創造(貨幣創造)を解説します。

通貨発行権は誰が持っているでしょうか? 政府です。そして日銀は政府のいち機関です。

通俗な説で「預金残高を政府支出が上回ったら、財政破綻する〜」というものがあります。

これは完全な誤りです。

逆に「政府支出(政府の負債)が民間資産(預貯金)を作る」のです。

通貨は政府しか発行できません。そして通貨は日銀の負債です。日銀は政府の一機関です。

日銀は直接的に、国民にばらまく権限は持っていませんよね?

だから政府が、国債という形で支出をします。

「誰かの負債=誰かの資産」を思い出してください。

政府が負債を負うことによって、初めて民間の資産が生まれる
のです。

したがって、政府支出(負債)が増大すると、民間の預貯金額(資産)も増大します。

事実は「政府支出(負債)が増大したら、そのぶん民間預貯金(資産)も増大する」ので、通俗的な「個人の貯蓄額を
上回ったら〜」は嘘だったというわけ。

現代貨幣理論と商品貨幣-表現者クライテリオン柴山桂太「国家が貨幣を作る」

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 2019.09.06 09:48

本稿では表現者クライテリオンで、たびたび記事を書いておられる柴山桂太さんを取り上げます。

表現者クライテリオンの9月号「MMTと日本」の、柴山桂太さんの稿が秀逸」だからです。

国家が貨幣を作るという、表現者クライテリオン9月号の稿

表現者クライテリオンの9月号は、現代貨幣理論(MMT)と第二次世界大戦を扱っています。

  • 貨幣は大昔から「現代貨幣」だった
  • 政府の支出能力に上限はない
  • 租税は支出の原資ではない
  • 「健全な財政」ではなく「健全な経済」
  • 問い直される「租税国家」

 1.から4.は現代貨幣理論(MMT)の紹介をされています。

MMTには無数の批判が寄せられているが、日本では、ほとんどが「インフレを抑制できないのではないか」という点に終止している。

これは旧ケインズ主義の時代から言われ続けてきた批判である。

MMTにはに依拠しようがしまいが、過度な財政支出はインフレをもたらす可能性があり、民主主義政府はその抑制に失敗する可能性がある。

ただそれだけのことだ。

そんなことより真に考えるべきなのは、MMTを受け入れると、人々にとっての納税の意味が根底から変わってしまうということではないだろうか。

公務員を批判する人はよく「税金で食べさせてもらっているくせに」と口にする。

だが、MMTに従うなら、公務員の給料は税金と関係がない。

これまで見てきたように、公務員への支払いも政府の「キーストローク」によって行われているからだ。

政府支出が租税に関係ないとすると
……ストーリーがなくなる

現代貨幣理論(MMT)では「租税は、通貨を通貨たらしめるためにある」と説きます。

よく見る表現では「税が通貨を駆動する」です。

税金は「政府支出の原資」とはみなされません。

なぜなら、スペンディングファースト(政府支出が先)だからです。

確定申告は2月から3月です。 2018年度の確定申告は、2019年度の2-3月期に行われます。

では、2018年は「予算が確定していないし、収められていないからその分は支出できない」となりましたか?

じつは政府支出は、税収に関係なく行われています。

政府支出の原資が税金でないとなれば、『では、一体何のために税金を払うのだ?』という根本的な問いに改めて向き合う必要が生じる」のです。

現代貨幣理論(MMT)では、「税収から、政府が支出する」という一般的なストーリーが通用しないのです。

現代貨幣理論
(MMT)の物語的弱点を詳らかにした柴山桂太

しかし柴山桂太さんの記事は、現代貨幣理論(MMT)の「物語的な弱点」を詳らかにしました。

「国民が、納税をする『わかりやすい物語』」が、現代貨幣理論(MMT)にはないのです。

固定観念といっても良いでしょう。 長いですが、引用しましょう。

ところがMMTは、政府支出と納税が実はつながっていないという事実をふたたび明るみに出してしまった。
(中略)

だが、納税者は「インフレ抑制」や「不平等の是正」といった抽象的な理由のためにすすんで税金を払うのだろうか。
(中略)

MMTがどんなに正しい理論であったとしても、貨幣をモノとみなす人間の固定観念は簡単には消えないし、歳出と
歳入を一致させるべきだという健全財政論もしぶとく残り続けるに違いない。

(中略)
結局、一番の問題は、人類はまだ「租税国家」論に代わる新たな物語――政府と我々を結びつける新たな物語を生み出せていない、ということにあるのだ。




信用創造

中央銀行が銀行の保有している国債を購入して、代金を銀行が持つ日銀当座預金の口座に振り込むと、銀行はその預金の何倍ものお金を新たな融資に回すことが可能になる。

経済学の教科書に必ず登場する「信用創造」という仕組みだ。

銀行が企業に融資をするときに現金を渡すことはほとんどない。

企業の銀行口座に振り込むのだ。そうすると、融資をした途端に預金の量が増えるから、それを原資にまた融資ができる。

つまり、銀行は預金量の何倍もの融資ができる。

銀行は、お金を作り出せるのだ。

そうなると、世の中に出回るお金が増えるから、景気がよくなる。


ところが、資金需要が乏しいデフレの状況だと、銀行は日銀に国債を売って資金を手にしたところで、それを融資に回すことができない。

結局、銀行は日銀当座預金に資金を放置するしかなくなるのだ。

これでは、世の中に出回るお金の量が増えないから、景気はよくならない。

お金を作り出せるのは、政府や中央銀行だけではない。

民間銀行も、政府や中央銀行と同様に信用創造でお金を作り出している。

これまでの経済学では、政府や中央銀行が過度にお金を作り出すと、インフレになって経済が混乱するから、金融緩和に関しては、きわめて慎重だったが、民間銀行が作り出すお金については野放しだった。

むしろ、民間銀行がより多くのお金を作り出せるように、政府や中央銀行は金融政策でサポートするべきだという考え方が支配的だったのだ。

ところが、歴史を振り返ると、バブル崩壊後の日本が厳しい経済低迷を強いられたのは、バブル期に民間銀行が信用創造を膨らませすぎたからだ。

1988年9月のリーマンショックが「100年に一度の経済危機」をもたらしたのも、最大の原因は民間金融機関が、金融工学を使ってとてつもない信用創造を行ったからだ。

こうした視点から考えると、規制すべきは民間金融機関で政府や中央銀行には、もっと自由度を与えてもよいのではないかという考え方は当然出てくる。

この点で非常に興味深い指摘をしているのが、アデア・ターナー元イギリス金融サービス機構長官だ。

金融サービス機構長官というのは、日本で言うと、金融庁長官のようなポストだ。

ターナー氏は、近著『債務、さもなくば悪魔 ヘリコプターマネーは世界を救うか?』(日経BP社)で、日本語版のために序文を書き下ろしているが、そのなかでこう指摘しているのだ。

マネタリーファイナンスの技術的な論理は明快である。

政府が減税を実施するか国民に直接現金を配るか、財政支出を増やす一方で、中央銀行がこの財源を新規通貨の発行で賄えば,マイナス金利や国債発行による財政出動など、他の政策が効かない時でも常に需要は刺激される。

物価と成長率に対する影響は、刺激の規模に依存する。

この政策が必然的に過度なインフレを引き起こすとの主張は、単純に誤っている。

また、将来の「インフレ税」や銀行収益に対する暗黙の税が見込まれるので効果がないとの主張は、混乱した論理に基づいている。

このため、ヘリコプターマネーについて唯一の反論、とはいえきわめて重要な反論は、政治的なものになる。

どれだけ規模が小さくとも、いったんタブーを破ってマネタリーファイナンスを実施してしまうと、政治家が際限なくマネタリーファイナンスを求め、インフレが亢進するのではないか、というものだ。

だが、このリスクは、物価目標を掲げる独立した中央銀行に、マネタリーファイナンスの規模の上限の決定権を付与することで抑制することができる。

ターナー氏は、民間金融機関の信用創造を厳しく規制するとともに、政府と中央銀行については、インフレ目標の厳守を前提に、ヘリコプターマネーを実施すべきだと主張しているのだ。

ヘリコプターマネー政策は、政府が中央銀行に国債を買わせることによって、実質的な借金を増やさない形で、財政出動や家計や企業に対する減税行うのが一般的だ。

ところが安倍政権が行ったのは、一般的なヘリコプターマネー政策とは一部が根本的に異なる。

一般的なヘリコプターマネーの場合は、通貨発行で得た資金を減税などの財政出動に振り向けるのだが、安倍政権はそうしなかった。

財政支出は緊縮を続けたのだ。

それどころか、消費税率の引き上げという大規模な財政引き締めを行ったのだ。

その結果、とてつもない勢いで実質連結債務がゼロに向かっていった。

出所:消費税は下げられる 森永卓郎 角川新書 2017-03-10






ひろしの視点 2019/06/05  あんどう裕(ひろし)衆議院議員(自民党 京都6区 )

「現代貨幣理論とは何か」

最近、米国で急に激しく議論が交わされている「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory(MMT)、『現代金融理論』とも訳されます)」をご存知でしょうか。

新しい経済理論とも思えそうですが、実際は、現在の私たちが使っている「貨幣とは何か」、つまり「貨幣の本質」について説明している理論です。

ところが、これが今、米国で大論争を巻き起こしつつあります。

なぜ、ただの「貨幣の本質」について説明しているにすぎない理論が大論争になっているのか。

それは、この理論が説明している「貨幣の本質」が、私たちが通常考えている「貨幣の本質」とまったく異なる概念だからです。

そして、私たちが普通考えている「貨幣」の概念と、実際の「貨幣の本質」が全く異なるということは、一般的に信じられていて正しいとされている「経済政策」も、「貨幣の本質」を間違えているために「経済政策全般を間違える」という現象が起きているということなのです。

通常私たちは「貨幣」とは「資産」であると考えています。

例えば、労働することによって「貨幣」という資産を得、その貨幣を使うことによって貨幣という資産を減らす。

国の借金である国債は、国民の資産である貨幣を借りることによって資金調達しているということであり、国民が預金などの貨幣を持っている間は国も国債を発行することができるが、そのうちに国民の預金という資産が枯渇してしまうので国債を発行することができなくなり破綻するということが一般に信じられています。

ところが、現代貨幣理論(MMT)は、下記のように主張しています。

貨幣の本質とは、資産ではなく負債である。

ニクソンショックによって金本位制が完全に終わりをつげ、管理通貨制度に移行した現在においては、通貨とは金などの実体のあるものに裏付けられた「資産」ではなく、単なる帳簿記録上の「負債」に過ぎないものとなった。

国の経済成長を実現させるためには、政府は「財政赤字」であるのが通常の姿であり、政府が財政赤字を容認することによって民間に貨幣が新たに供給されるのである。

政府が赤字を容認することにより、皆が豊かになる経済成長が実現するのである。

経済が成長するためには貨幣の供給を拡大していく必要があり、そのためには負債の拡大が必要である。

そして、負債の拡大とは、「預金を持っている人がいるから借金ができる」のではなく、「借金をすることによって預金が生まれる」のである。

銀行による「信用の創造」とは、「銀行が貸付を行うことによって預金通貨を新たに創造することができる」ということであり、これは「万年筆マネー」とも言われる。

この理論で衝撃的なのは、通常は「銀行は国民から預金を集め、その預金を企業などに貸し付けている」と考えられていますが、これがまったくの間違いであるということなのです。

銀行による融資とは、実際は下記のように行われます。

銀行は、融資を行うときにあらかじめ預金を準備しておく必要がない。

「銀行が融資をする」、ということは、銀行から見て「貸付金」という「資産」と「銀行預金」という「負債」を「帳簿に書き込む」作業である。

銀行がこの帳簿上の記録をすることによって企業は「銀行預金」という「資産」を得るとともに「借入金」という「負債」を負うことになる。(この作業をすることによって、銀行は「預金」という負債を新たに負うことになる。

つまり、貨幣の本質とは負債である。)このように、銀行が帳簿に融資を記録することによって新たに預金通貨が発行されるのである。

このようなことを言われると「そんなばかな!」というように感じられるかも知れません。しかし、銀行実務は実際、このようになっています。

もちろん、準備預金制度などがありますので、現実にはある程度の預金を集めることは必要ですが、融資の原理は上記の通りなのです。

私たちが日常使っている紙幣にも「日本銀行券」という印字がありますが、これは「日本銀行の負債である」ということを表しています。

実際に日本銀行の貸借対照表を見ると、現金は日本銀行券として「負債の部」に計上されています。

これらの「貨幣の本質」をもとに今後考えるべき政策を考えると、経済政策の柱は下記のようになります。

@管理通貨制度の下では、主権国家は自国通貨をもっている場合、通貨発行権を有するために、国債が破綻することはあり得ない。
したがって、日本や米国などでは財政破綻を心配する必要がないので、必要な財政支出は財政赤字を気にすることなく拡大することができる。

Aしかし、野放図な財政支出拡大を意図するものではなく、真の国債の発行制約はインフレ率による。

B租税とは、政策経費を賄うために徴収されるものではなく、インフレ率の調整や各種の政策目的のために徴収されている。

政府の財源として考えるべきではない。

上記@については、日本の財務省もホームページ上で下記のように主張しています。

「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして 如何なる事態を想定しているのか。」(財務省ホームページ「外国格付け会社宛意見書要旨」より)

デフォルトとは「債務不履行」つまり「返済不能になること」を意味しますが、財務省は明確に自国通貨建て国債が返済不能になることはあり得ないと言っているのです。

これは、国は通貨発行権を持つ「中央銀行」が存在しているため、いくら国債の買い手がいなくても、言い換えれば国が借金したい時に国民の誰もが貸してくれない状態になったとしても、最後は中央銀行である日本銀行が貸してくれるし、貸してくれないことは通常考えられないので、国債発行により資金調達が不調に終わることは考えられず、したがって返済不能になることも考えられないということなのです。

実際に、日本銀行はすでに日本国債を466兆円も持っています。

平成30年12月末現在の国債残高は1013億円ですが、そのうち46%は日本銀行の保有になっています。

皆さん、不思議に思いませんか?

日銀は、国債を466兆円も持っているのです。

日銀は、いつからそんなに国債を買えるだけのお金を持っていたのでしょうか?

いいえ、日銀は当初からそんなお金は持っていませんでした。

ところが、日銀は通貨発行権を持つので、国債を買い入れる時は「帳簿に記録するだけで買うことができる」のです。

まさに「万年筆マネー」を実現しています。

実は、この理論については、私の主宰する「日本の未来を考える勉強会」では一昨年から取り上げていました。
ぜひインターネットで勉強会の模様をご覧ください。

この現代貨幣理論について解説している動画が3本あります。

一昨年は「貨幣と租税」 。
昨年は「貨幣と経済成長」。
そして今年は「よくわかる現代貨幣理論(MMT)解説」というタイトルで見ることができます。

この理論がにわかに注目されたのは、米国の最年少女性下院議員のアレクサンドリア・オカシオコルテス氏が「MMTを使ってもっと財政支出を拡大すべき」という主張をしており、これを理論的に支えているのが民主党大統領候補であるバーニー・サンダース氏の政策アドバイザーであるステファニー・ケルトン教授である、という構図です。

今年の3月13日のブルームバーグの記事です。
「現代金融理論」にわかに脚光米財政赤字拡大や「AOC」効果で(一部省略して転載します)

何年も無視されてきたMMTが、なぜ今になって突如、米国の経済論議の焦点となったかを巡っては当然、疑問が生じる。次に幾つか考えられる答えを挙げてみる。

MMTの論旨は、自国通貨を持つ政府の支出余地は一般的に想定されるよりも大きく、全てを税金で賄う必要はないというものだ。

この見解によれば、米国はいかなる債務返済に必要な貨幣も創出できるため、デフォルト(債務不履行)に追い込まれるリスクはゼロということになる。

米国の政治にMMTを持ち込んだのはバーニー・サンダース上院議員だ。
しかし、サンダース議員がMMTをはっきりと支持したことはない。

支持を明確にしたのはサンダース議員の選挙運動に参加したこともあるニューヨーク州選出の新人議員で、AOCの頭文字で知られるアレクサンドリア・オカシオコルテス氏だ。

オカシオコルテス氏はMMTについて、「会話でもっと盛り上げる」べきだとし、議会がその「財政権」を動員するよう呼び掛けている。

MMTの措置を本格的に活用したとほぼ言える国は日本だろう。

日本では20年前に金利がゼロに達し、日本銀行が一部ファイナンスしている公的債務残高はGDPの約2.5倍の規模にある。

赤字続きでもインフレ高進はなく、債券市場からの資金逃避の動きもない。

米国トップの大学の著名エコノミストは一斉にMMTを批判している。

ハーバード大学教授で元財務長官のラリー・サマーズ氏は、「重層的な誤り」があると論評。

ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏や、国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストを務めたオリビエ・ブランシャール氏もMMT攻撃に加わった。

と同時に、こうした著名人らから、公的債務懸念は行き過ぎだとして赤字拡大の支出に好意的な姿勢が見られるのも最近は多くなってきた。

ここでは、日本がすでにこのMMTを実際に意図しないうちに実証しているのではないかと指摘がされています。

この貨幣論の概念を「資産」から「負債」へと変えるのは、まさしく「天動説」から「地動説」へと概念を変更した「コペルニクス的転換」と言えるかも知れません。

今までの主流派経済学を使い、実践してきた経済学者から反発されるのは当然なのでしょう。

実際に、この理論を米国で提唱しているケルトン教授は下記のように述べています。

以下、4月17日の朝日新聞の記事より抜粋します。

「天動説から地動説へと私たちの考えが変わるまでには時間を要しました。

いま私たちは租税が中心にあって、経済がその周りを回っていると考えています。

増税がなければ、よい経済は築けないと。

しかし、「コペルニクス的転回」は近づいています。じきに私たちは、租税は分配をコントロールしインフレリスクに対抗するものである、と考えるようになるでしょう。

天動説から地動説へのような、思考の大きな飛躍が求められています」

今、日本では『消費税増税について最終的にどうなるのか』という議論がされています。

しかし、今日お話ししたように租税とは政策経費を賄うものではなく、インフレ率を調整するために存在するのだとしたら、また、自国通貨建ての国債が返済不能になることはあり得ず、日本の財政破綻の心配はまったくないのが本当だとしたら、大きく政策転換をする必要があるのではないでしょうか。

私の勉強会では、以前から貨幣の概念が重要である、という観点からこの現代貨幣理論を取り上げてきました。
それに基づいて、消費税増税の凍結や減税を主張してきました。

ここで米国からこのような議論が沸き起こってきたことは、まさに「神風」というべきかも知れません。

デフレ脱却ができずに苦しむ日本をきちんとした経済成長路線に戻すためにも、既存の誤った概念に基づいて立案される誤った経済政策を繰り返すのではなく、正しい貨幣の概念を理解し、経済成長を取り戻すための正しい経済政策を実践していかなくてはなりません。

財務省はこの現代貨幣理論を大いに警戒し、早速反論資料を取りまとめて公表しています。

新聞記事にも必ず「異端の理論MMT」といった否定的なタイトルが並びます。

しかし、私は、長い間デフレから脱却できず貧困化する日本を成長路線に戻すために正しい政策を主張していきたいと考えています。

ぜひ日本の未来を考える勉強会の動画を見て、現代貨幣理論への理解を深めていただきたいと思います。ご希望であれば、私も説明に伺いますので、お声掛け下さい。

どうぞよろしくお願いいたします。

あんどう裕(ひろし)衆議院議員(自民党 京都6区 )議員連盟「 #日本の未来を考える勉強会 」会長https://www.andouhiroshi.jp/viewpoint/305/




借用書としての貨幣 「信用貨幣論」

SNSで見られるMMT批判を見ていると、あたかもMMTが経済政策であるかのように捉えられているが、それは誤解だ。

貨幣理論(Monetary theory)という名前の通り、そもそも「貨幣とは何か」という話が本質で、そこから政策提言に派生しているというのが事実である。

MMTでは貨幣はどのようなものなのかMMTでは貨幣を借用書として捉えている。この借用書はIOUとも言うが、これは英語で「あなたに貸しがる」というI oew youからもじったものである。

誰しも貨幣(借用書という負債)を発行できるが、全ての人々がそれを信用しない限りは貨幣にはなりえないということだ。

MMTにおいては、貨幣の裏付けとしての商品(金や貴金属)の価値が貨幣を貨幣として流通させるという「商品貨幣論」ではなく、全ての人々が信用する負債が貨幣として流通するという「信用貨幣論」を適用しているのだ。

租税が貨幣を動かす

モズラーの逸話には前項を含め、MMTを理解するのに重要な3つの要素が含まれている。
この考え方をもう少し深掘りしていくと、MMTの主張の1つに近づく。

「月末までに30枚の名刺を納めよ」という指示は、国民が国家に税金を納めることと同じだからだ。もともと名刺に価値はないが、父がそれを受け取ることで、家から追い出すという罰を与えない。だから子どもたちは名刺を集める。

これは言い換えると、貨幣(不換紙幣)には裏付けとなる価値はないが、国が納税する際の支払い手段として受け取る。 だから国民は裏付けとなる価値のない貨幣を集めようとする。読者は同じことだと感じるだろうか。

MMTの考え方では、その貨幣が納税の際の支払い手段として使えるかどうかが、その貨幣が流通するかどうかを決める際に重要な要素になる。


税金の存在が貨幣を獲得・保有するインセンティフを国民に与える。

この考え方をタックス・ドリブン・マネタリー・ビュー(Tax Driven Monetary View)といい、 ランダル・レイは「租税が貨幣を動かす」(Taxes drive money)と表現している.
これがMMTを理解するための、2つ目のキーワードだ。

タックス・ドリブン・マネタリー・ビューに対しては「徴税をする国と納税をする国民の間でしか貨幣が流通しない」からおかしいという指摘があるが、それは間違っている。

全国民が消費の際に課税される消費税や、日本に住む多くの国民が支払うことになる住民税など、いろいろな税は存在する。だから、その国において納税の際に決済手段となる貨幣を、普段の経済生活でやり取りをするインセンティブは発生している。

仮にいっさい課税されず、納税の義務もない国民がいたとしても、周りの国民が納税する義務を負っているなら、納税に使用できる貨幣を持っていた方が得である。

その貨幣と引き換えに、周りの国民が生産するモノやサービスを受け取れるし、労働力として使うこともできるからだ。
つまり、MMTの主張としては、税金は財源ではなく、貨幣の価値を保証するものなのである。

ちなみにモズラーの名刺の逸話には重要な3つのキーワード以外にMMTの主張を理解する手掛かりがある。
たとえば、父親は子どもたちから回収した名刺をどのように扱っても問題がないのである。そのままシュレッダーにかけてしまってもいいし、再び子どもたちに渡してもいい。名刺はいくらでもプリンタで刷れるので、 名刺の残り枚数は気にする必要はないのだ。


スペンディング・ファースト

日本の財政状態は世界的に見ても最悪なレペルであるから、景気後退であろうと消費増税をして財政健全化を目指し、新型コロナウイルスで生活困窮者が自殺しようが、中小企業が倒産しようが、 それら全てを救うだけの補償を出すほどの財源がない。

しかし、何かをする際に財源があるかどうかを議論したり、財源を作るためには税収が必要だという考え方にMMTは反論している。

国が最初に支出をして、 その後に徴税する形で貨幣を回収しているのだ。

MMTでは、国がまず支出をして、その後に税金で回収することを「スペンディング・ファースト」と表現している。

できたばかりの国家を考えれば、 この考え方が当たり前のことを言っていることに気づくだろう。
国民が国に税金を納めるにしても、納める貨幣がなければ納税はできない。

まず国が支出をして貨幣を供給しなければ、その後に税金として回収する貨幣を国民は持たないのである。
国が支出して国民に供給した貨幣が全て税金として徴収されてしまうと、その時点でまた国民は貨幣を持たないことになり、貨幣経済が止まってしまう。

常に国が支出している貨幣の量が、税金として回収した貨幣の量を上回っていないと、経済が回らない、少なくとも成長していかないということは理解できるだろう。


なぜ国債を発行するのか

MMTの主張では「税金は財源ではない」わけだが、そもそも財源を作る方法は税金を徴収する以外にも国債を発行するという手段がある。むしろこちらの方が一般的に知られている。

ところが国債の発行は、MMTでは、国の資金調達手段のためではないと考えられている。それでは、何のために国債を発行するのか。

もともと国が貨幣(通貨)を発行してはじめて税として回収できる。

同様に、国が通貨を発行していなければ、国債を発行することもできないということをまず前提として以下、説明したいと思う。

これまで国と表記してきたところを「政府」と「中央銀行」に分けて、国債の発行と政府支出における役割、いわゆるオペレーションについて確認したい。

政府が国債を発行して公共事業をする場合を考えよう。

まず、政府が国債を発行する場合、民間銀行が準備預金を取り崩して国債を購入する。これにより、民間銀行の準備預金は減少し、政府預金が増加する。
そこで、中央銀行が民間銀行から国債を買い取って、民間銀行が保有する準備預金を増やす。その後、政府が政府支出(公共事業の発注)をすると、政府預金が減り、企業の預金残高が増える。すなわち、 民間銀行の準備預金が増えるというわけだ。

要は政府支出に応じて中央銀行が国債を売買することで資金の動きを「調整」しているわけであって、直接国民から資金調達をしているわけではないということだ。

それでは、MMTにおいて、国債発行は何のためなのか。

それはあくまで「金利を操作する」ためである。金利の操作は銀行間で準備預金の貸し借りをする短期金融市場と呼ばれるマーケットで行われている。

普段、この銀行間における市場金利が高ければ、 中央銀行は買いオぺ(国債を買って資金を供給する)を行って金利を下げるように調整し、逆に銀行間における金利が低ければ売りオぺ(国債を売って資金を吸収する)を行い、金利を上げるようにする。

金利調整のためだけに国債が存在するというなら、国債など廃止してしまえばいいと思われるかもしれない。

MMTを支持する経済学者(MMTer)の中には、「明示的財政ファイナンス(OMF:Overt Monetary Financing)」という手法を提唱する人もいる。

財政ファイナンスというのは、政府が発行した国債を中央銀行が通貨を発行して直接引き受けることを言う。

しかし日本では、それを行うと財政規律が失われ、悪性のインフレが起きる可能性があるとして、特別な事由がない場合は基本、禁止している(財政法第五条に禁止と記されている)。

しかし、明示的ではないとしても、実際には財政を陰ながら支援する形で中央銀行による国債購入は行われているわけだから、政府支出の財源として国債があるという体裁は捨てて、財政ファイナンスをして、国債を廃止してしまえばいい。これが「明示的財政ファイナンス」という意見である。

この意見を提唱する代表格が、MMTの名付け親としても知られるオーストラリアの経済学者ビル・ミッチェル(ニューカッスル大学教授)だ。彼は国債を保有している富裕層に対して安定的な利息収入を保証しているだけで、国債を廃止しても構わないという主張をしている。


統合政府という考え方

前項で解説の都合上、これまで国と表記してきたところを政府と中央銀行に分けた。
一般的にも「政府」と「中央銀行」に分けて考える。しかし、これはMMTを理解するうえではよろしくない。なぜならMMTでは政府と中央銀行をあわせて「統合政府」として考えるからだ。

中央銀行が発行する通貨が民間に流通し、決済機能を持つためには、政府への納税手段として使用できるという大前提がある。また政府が政府支出を行う場合、中央銀行が民間銀行と調整をする必要がある。
この2つの観点から、

政府と中央銀行を完全に分離して独立した主体として考えるのは難しいというのがMMTの主張だ。 MMTを支持するかどうかで、国が抱える財政赤字の報道に対する印象も変わる。

よくニュースで見かける「国の借金は19年12月末時点で1110兆7807億円あるので、同年8月1日時点の日本の総人ロ(1億2388万人)を基に計算すると、 国民1人当たりの借金は約896万円に上る」という表現を例にとってみたい。

一国の経済を「統合政府」と「民間」という2つの主体で考えると、この表現はおかしい。

民間が通貨を保有している場合、それは資産である。そして、2主体しかいない世界であれば、通貨を発行した政府から見ると負債となる。

通貨は政府への納税手段であり、統合政府は徴税として通貨を回収することもできる。統合政府発行分と民間保有分の通貨は相殺できる関係にある。

国の借金を人口で割り、1人当たりの借金(負債)という表現は、少なくともMMTの考え方からすれば「おかしい」のである。
また、この統合政府と民間という2つの主体で考えると、財政赤字が悪という考え方も変わるだろう。これまでの内容と重複するが、

統合政府が通貨を民間に発行し、その一部を税金として回収する仕組みでないと、民間に通貨は残らない。つまり、貯蓄されていかないわけだ。

民間が経済を回していくためには、徴税によって回収する通貨量は、統合政府が民間に発行した通貨量を下回っていないといけない。

よって、ある程度の財政赤字というのは必要であって、財政黒字が発生するということは民間の赤字が膨らんでいると考えられる。

よくMMTが語られる際に使われる言葉、「誰かの赤字は別の誰かの黒字」ということである。


財務省と真逆の発想!「機能的財政論」

日本では不況になった際に財政出動をして景気を浮揚させようという機運が高まると、必ず「これ以上は財政赤字を増やせない」という緊縮的な意見が出る。

MMTでは「機能的財政論(Functional Finance)」という考え方が支持されている。これはアメリカの経済学者アバ・ラー ナーが唱えた、「財政政策は財政収支や政府債務を軸に考えるのではなく、完全雇用や物価の安定という経済的な目標のために考えるべき」という論である。

民間から見れば、統合政府は通貨を創り出すことができ(発行)、回収(徴税)することもでき、更にモズラーの名刺の逸話のようにシュレッダーにかける(破棄する)こともできる。

それだけの能力を持つ国、つまり統合政府は、非自発的失業者が存在しない世界(完全雇用)の実現や、物価の安定についての責任がある。

「財政赤字が不安だから財政出動はしない」といった、財政に関する数字を基に財政政策を判断するのではなく、雇用や物価という結果に対して、財政政策の内容を決めるべき、というのがその主張である。

この考え方に基づくと、従来の考え方とは全く別の角度からの発想になることに気づくだろう。「不況なのであれば財政拡張し、インフレが進めば緊縮財政とする。

不完全雇用なのであれば、完全雇用になるまで財政拡張をする。それぞれの意思決定時においては、政府債務がどれほど累積しているかや、財政赤字額がどれぐらいかということは関係ない」ということである。


租税政策論

MMTにおける租税の目的が「貨幣を動かす(Taxes drive money)」ためと説明した。不換紙幣を国民が喜んで受け取り、それが流通する理由は、その貨幣が政府への納税手段として使えるからということであった。

この話とは全く別の観点からもMMTでは租税の目的を解説している。ランダル・レイは「所得税源泉徴収の父」として知られ、40年代にニューョーク連銀の議長を務めたビアズリー・ラムルの論文を引用してMMTにおける「税の4つの目的」を挙げている。

@税によって購買力を奪い、総需要を減少させることで、インフレを抑制させる

A累進的な所得税などにより、富と所得の分配を変更する
いまの日本の累進課税制度からもわかる通り、富裕層からは多く税金を徴収し、 貧困層からは最低限の税金だけを徴収する。これは単純に貧富の格差を埋めるという意味ではなく、不況の時には税収も減り、インフレ時には税収が増えていくので、 税収が景気に自然に連動していくような総需要の調節機能を果たすことにもなるためだ。

B大気や水質汚染、喫煙や飲酒など悪い行動を抑止する手段としての税(関税もここに含む)。
これらの行動に対する税は「悪行税(Sin taxes)」と呼ぶ。喫煙や飲酒などの「悪行(sins)」のコストを引き上げることである。

C特定のプログラムのコストをその受益者に割り当てる
たとえば、高速道路の利用者が利用の対価を負担するように、車の所有者にガソリン税を課すことである。このように書くと、高速道路の建設に必要な財源を確保するための税金と考える人がいるかもしれないが、ラムルは「歳入のための租税は時代遅れである」としており、ガソリン税の存在により、高速道路を利用するであろう人々が、高速道路の建設を支持するか慎重に考えるように設計されるとしている。

また、住宅に対する課税もランダル・レイは例示している。たとえば禁煙をする人が増えれば、タバコから徴収できる税金は減る。しかし住まいというのは人間がバーチャルな存在ではない以上、必ず必要になる。だからこの租税はほとんどの人に課せられ、かつ消滅もしない。つまり貨幣を動かし続けてくれる、というわけだ。

3つの悪い税 世の中には様々な税金が存在するが、MMTでは悪い税が存在するとしている。

1つ目は社会保障税である。

自分で会社を経営して人を雇う立場に回ると非常に気になる部分だ。 社会保険料は労使折半なので、半分を会社側が支払う必要がある。年収500万円の人を雇おうとするのであれば、16%程を上乗せして約580万円を予算として用意しなければいけない。

社会保障税は世界共通のものではない。だから社会保障税を導入している国は、貿易において不利となる。海外との競争が激しい場合は会社負担分を労働者の賃金を下げて対応(労働者が負担)しようとするし、海外との競争がない場合は会社負担分を商品に価格転嫁(消費者が負担)するだろう。

2つ目は消費税だ。
国民はモノやサービスを購入することで生活の質を向上させているのであり、国が消費税を課して国民の購買力を奪うのはおかしいと主張している。また、消費税には「逆進性」があるため、所得が低ければ低いほど消費税のダメージが大きい。

3つ目に、とりわけ悪い税として法人税を挙げている。

法人税も低賃金化と商品への価格転嫁というかたちで、結果的に労働者と消費者が負担する形になる可能性が高い。
企業に最も合理的な意思決定をするのではなく、法人税の課税対象になる利益ができるだけ少なくなるような意思決定を促してしまうということだ。
資金調達で言えば、借り入れした場合、その借り入れによって生じた支払い利息は損金算入できる。
このため前期から繰り越した利益や、株式によって調達(増資) した資金で投資するよりも、目先のことだけを考えると借り入れの方が得になるため、借り入れによる資金調達を選好するようになる。
ただしその選択によって、企業は必要以上にリスクの高い債務を積むことになる。

また、企業が法人税率が低い海外に拠点を移してしまう可能性もある。そうなれば、雇用も他国へ奪われてしまうため、国益を損なうことになる。それ以外にも、 課税対象となる利益額を減らすために、経営陣が役得として様々なものを経費として落としてしまう可能性も発生する。


預金発生の仕組み「外生的貨幣供給理論 」

貨幣には硬貨や紙幣だけでなく、預金も含まれる。銀行が存在しない世界で太郎が花子にお金を渡す時は、現金を手渡ししなければならないが、現実世界では銀行があるので、太郎の預金口座から花子の口座にお金を振り込むことが可能だ。

それでは預金はどのようにして発生するのか。

 一般的には次のように理解されている。
太郎が10万円の現金を銀行の支店に持ち込んだり、ATMで自分のロ座に振り込むと銀行に10万円の預金が発生する。銀行は人件費などの運営コストを賄うため、 この10万円を企業や他の人に貸し出して利ざやで収益を上げる。
銀行が太郎の10万円のうち、将来の引き出しに備えて1万円だけ残し、9万円を花子に貸し出したとする。その後、花子が銀行から借りた9万円を銀行の預金口座に入金したとしよう。そうすると、銀行には太郎の預金10万円と、花子の預金9万円が発生し、合わせて19万円の預金が銀行にあることになる。10万円の現金が持ち込まれた(振り込まれた)だけであるにもかかわらず、いつの間にか銀行にある預金が増えており、錬金術のように思う方もいるかもしれない。

このような事象を経済学の教科書では「信用創造」と呼ぶが、英語ではMoney creationといい、貨幣創造と呼ばれている。
ちなみに、銀行にある19万円の預金のうち、太郎が預けた10万円を「本源的預金」、花子が預けた9万円を「派生的預金」 という言葉で区別する場合もある。

外部から銀行に現金が持ち込まれると、銀行はその金額の一部を行内に残し、それ以外は貸し出しに回すとされ、それが新たな預金を生み出す。
外部から持ち込まれた現金を他人に貸し出す行為を「又貸し」と呼ぶ。
外部から持ち込まれた現金が貸し出しに回ると、預金が発生するわけだ。これを「外生的貨幣供給理論」と呼ぶ。


実務的な「内生的貨幣供給理論」

現金が持ち込まれて、そこから預金が発生するという「外生的貨幣供給理論」に対し、MMTでは銀行が貸し出しをすることで預金が発生するという考え方をとる。

これを「内生的貨幣供給理論」と呼ぶのだが、銀行勤務経験者はこちらの方が受け入れやすいかもしれない。
先程の例の続きで考えると、花子が9万円を借りたいと銀行に申し出た場合、銀行は花子の銀行口座を作り、コンピューター上で花子の口座に9万円を貸し出した記録を作ればよい。

前に掲げた設定では、太郎が10万円を銀行に持ち込んだところから話が始まったため、花子への貸し出しの原資が太郎の預金のようになってしまったが、実際の銀行業務では、貸し出しをする際に原資を同額準備してから貸し出しするわけではない。帳簿上に貸したという記録がなされるだけだ。

このように何もないところから記帳するだけでお金が生み出される信用創造を 「万年筆マネー」と呼ぶ。
昔は帳簿に万年筆で記録を書き込んだことからその名がついた。ノーベル経済学賞受賞者のジェームズ・トービンもそう表現しているが、 MMTにおいて預金の話をする際には、より近代的な表現として「キーストロークマネー」と呼んでいる。

「内生的貨幣供給理論」の方が実務的に正しいとしても、銀行が貸し出し(融資)によって無からお金を生み出せるのであれば、銀行は貨幣を無限に発行できるのか、という意見が出るかもしれない。

銀行にとっては預金というのは負債である。そのため、口座保有者が引き出したり、その口座から他行への口座に振り込みをしたいなどの要求があった場合には、それを履行する義務がある。

それに対応できるだけのある程度の自己資本は必要であり、貸し出す立場としては一定の制約がある。

また、誰にでも貸し出すことはできないため、借り入れを申し出てきた人の「信用力」も貸し出しの制約となる。「内生的貨幣供給理論」では、借り入れや貸し出しという経済活動が預金を生み出すということになる。


経済成長には政府が赤字になる必要がある

MMTをもっと理解するために、この「内生的貨幣理論」をより実体経済に近づけて考えよう。

貸し出しによって預金が発生すると書いたが、借り入れした主体を企業だと仮定すると、企業はその貸し出してもらったお金で投資をしたり、従業員を雇ったりして事業を運営し、売上からコストを差し引いた利益から、その一部を返済に充て、最終的には期限内に完済されるという流れを辿る。

この一連の資金の流れを簿記、つまり会計的な目線で整理してみる。企業が銀行から借り入れをした場合、銀行の貸借対照表には貸付金という勘定科目が資産側に計上される。

同時に銀行では預金が負債側に計上される。一方で、企業では預金が資産に、借入金が負債に計上される。
その後、企業が借入金を使って従業員(家計)に給料を払ったり、設備投資をして工具などの機材や材料を購入したとする。そうすると、今度は家計に給与として企業の資産の一部が移動し、企業が購入した機材や材料から商品(モノ)という資産が作り出される。

次に消費者(家計)が振り込まれた給与を基に企業からモノやサービスを購入すると、家計の銀行預金が企業へと還流し、企業はその還流した銀行預金を返済に充て、最終的には銀行の貸付金が返済され貸借対照表がきれいになる。このような資金の流れを「貨幣循環理論(Monetary Circuit Theory)」と呼ぶ。

この貨幣循環理論だと、銀行の企業への貸し出しから企業の借入金の返済までの資金循環を考える時に、銀行、企業、家計という3主体において、どの主体にも利潤や貯蓄が生じないことになる。

またこの循環の中で、どこかに利潤が発生するとすれば、それは利潤が発生した主体以外に損失が発生していることになる。

仮に、この3主体において利潤や貯蓄を発生させようとすれば、 他の主体の赤字が必要となる。それに該当するのが政府部門や海外部門である。

誰かの赤字は他の誰かの黒字であるから、企業や家計を黒字にしようとすれば、政府部門などその他で赤字が生じなければいけない。

現在の日本は少子高齢化と人口減少が進み、消費増税やコロナ禍の影響もあり、家計も企業もお金を使いにくい状況下だ。(民間の)黒字が縮小していく中で、経済を成長させようとすれば、その他の部門、つまり政府部門が赤字を出す必要がある。

MMT支持派が「お金をばらまけ」と主張するのはこういう理由からなのだ。


負債ピピラミッドの頂点に君臨する「通貨」

このロジックで言えば、国民にとって通貨が資産なら統合政府から見れば通貨は負債となる。「内生的貨幣理論」では、銀行が企業に貸出することで預金(貨幣の形態の1つ)が発生し、企業は借入金という資産を手に入れ、銀行には預金という負債が発生することを確認した。
ただ、貨幣が負債であるとすると、裏を返せば負債であれば何でも貨幣になりうるのかという疑間が生じる。たとえば、筆者が実父の森永卓郎から10万円を借りたとする。oその際、筆者は10万円という資産を手に入れる代わりに、森永卓郎に対して10万円分の借用書という負債を渡す。その後、森永卓郎が筆者に10万円分のサー ビス(畑の手入れやイベントの運営など)を頼んだとする。そこで筆者は森永卓郎から借用書を受け取り破棄したとする。サービスを提供することで貸し借りの関係が精算されたからだ。このケースでは借用書(負債)は貨幣のように使えたことになる。
しかしこれは筆者と森永卓郎という親子であり個人間での信頼関係に基づいたものであり、ここに第三者が登場すると話は変わってしまう。森永卓郎が街の電気屋で10万円分のパソコンを買う際に、筆者の署名が入った10万円分の借用書を出したとしても、電気屋が受け取ることはまずない。なぜなら電気屋からすれば、筆者がどこの誰なのか、どれほど信用できる人間なのかもわからないからだ。つまり誰でも貨幣を発行できるかという間いには「Yes」と答えるが、問題なのは誰もが皆それを喜んで受け取るかどうか、ということである。
このように貨幣という負債にはピラミツド型のヒエラルキーが存在している。これを「負債ピラミツド」といい、最上位には統合政府の貨幣、つまり通貨が存在し、その下には銀行の債務証書、つまり預金が存在し、その下にはノンハンクの債務証書があると考える。つまり、先程の例で出した筆者の借用書は負債ピラミッドのなかでは最下層に位置しているため、ほとんどの人が受け取ってくれないのだ。
ここではピラミツドを3階層に分けたが、正確には最下層の中でもヒエラルキーは存在する。いまだに手形での取引をする企業は存在するが、一部上場企業の手形と筆者の借用書では、前者の方が圧倒的な信用力を持つからだ。
負債ピラミツドというヒエラルキーを理解すれば、最上位の決済手段である通貨が、下位に存在する負債の共通単位であると同時に、決済手段になり得ることも理解できるだろう。
仮に戦争やクーデターによって、その国を統治している態勢が崩壊し、ピラミツドの最上位に位置する統合政府が発行する貨幣への信認も崩壊すると、ピラミツドの最上位が国際的な基軸通貨である米ドルに移行することがある。これを「ドル化(Dollarization)」というが、アルゼンチンやジンバブエなどハイパーインフレが生じた国ではよく見られる現象だ。
これは経済理論というより、現実世界で起きていることだ。10年程前にカンボジアに出張した際、カンボジアには自国通貨のリエルがあるにもかかわらず、街中にいた個人商店の男性は米ドルか人民元を持っていたら、それで払ってくれと言ってきた。当時はアジァ各国をめぐっていたため、たまたま財布に入っていた人民元で支払った。ところがお釣りはリエルで渡された。つまり、この男性の中では負債ピラミツドの頂点は自国の通貨であるリエルではなく、米ドルまたは人民元ということなのだろう。


MMTは金融政策には懐疑的

MMTによれば、金融政策の効果に対しては懐疑的だとしており、財政政策が重要であるとしている。第3章の「金融政策の限界」の項では日本の金融政策(主に金融緩和)の歴史について触れたが、異次元とまで言われる金融緩和をしているにもかかわらず、完全雇用が達成されているわけでもない。デフレではないものの低インフレ状態が長期にわたって続いている。MMTの支持者からすれば、金融緩和が有効なのであれば、日本は既にデフレや低インフレ状態を脱却しているはずだし、もっと高い成長率を実現しているのではないか、ということになる。
現在の金融政策の考え方をすごくシンプルに言ってしまえば、「物価上昇率を見ながら、景気が良くなりインフレがすすめば金利を上げて引き締めを行う。不況になり、物価が下がってきたら金利を下げて緩和をする」ということだ。
これに対して、
MMTは本章の「機能的財政論」でも説明した通り、政府債務がどれほど累積しているかや、財政赤字額がどれぐらいかということとは無関係に、インフレが亢進すれば緊縮財政、不況になれば財政拡張するという発想なのだ。

語弊を恐れずに言えば、MMTは従来金融政策がやろうとしたことを財政政策で代替しようということである。

金融政策の考え方としては、金利を上げれば景気を冷ます効果があり、金利を下げれば景気を刺激する。だがMMTではそんなに単純な話ではない、というわけだ。たとえば金利が上昇すると金利収入が増えて支出も増えるかもしれないし、逆に金利が下がれば金利収入が下がることで支出は減るかもしれないと考える。

また、金融政策の効果の1つとして、金利を引き下げることで企業が積極的に借り入れをして投資をすると考えるが、企業が投資をする理由はそれによって見込まれる売上の増加があるからだ。だから企業業績だけを考えると金利の影響はそこまで大きくないともしている。

中央銀行が銀行に対する資金供給を増やせば、企業への融資が増えるという考え方もあるが、MMTが支持する内生的貨幣理論に基づけば、貸し出しが出発点になるため、いくら中央銀行が銀行に資金供給をしたところで、資金需要がなければ貸し出しは増えないわけだ。

実際、日本でも日銀が量的緩和や異次元緩和をした際に、資金需要がなく、当座預金に資金が「ブタ積み」されているだけという批判があったのを覚えている方も多いだろう。

「貨幣量はコントロールできない」という考え方は「金融不安定性」という理論からも説明される。景気が拡大している局面では多くの市場参加者が浮かれるため、リスク許容度も高まってくる。そうなるとバブルが生じて資産価格も上昇し、更なる投機的な行動も多発する。しかし、過熱を抑えるために金利を引き上げたり、政府が介入したり、はたまた何かが起きてバブルが崩壊すると、今度は逆回転が生じて負債デフレが起きる。

このように経済環境の変化が貨幣量に大きな影響を与えているわけで、中央銀行が金利とともに貨幣量を決定できるわけではないのだ。


ストック・フローー貫モデル

これは「誰かの黒字は、他の誰かの赤字」というものだ。「ある経済部門(政府部門、 民間部門、海外部門など)の黒字(赤字)は、その他の部門の赤字(黒字)である」という非常にシンプルな話だ。

そこに、収入や支出などの「フロー」と、資産や負債などの「ストック」という観点を乗せていくのである。

たとえば、政府部門が黒字を計上し純資産を積み上げると、それは一方で民間部門と海外部門の純資産が減っているか、純負債が積み上がっており、合計は赤字という考えだ。

簿記の勉強をした人なら、何も違和感を持たずに受け入れられるのではなかろうか。

このモデルを理解するには米国の1990年代の財政収支が非常にわかりやすい。米国は92年に最も財政赤字を膨らませたが、第二期クリントン政権のもと、98 年度に黒字に転換し、2000年度に最大の財政黒字を計上する。この間、財政収支はGDP比で▲4・7%から2・4%にまで改善した。いまの日本の状況からすれば、なんとも羨ましい状態に見えるかもしれない。

しかし、MMTの立場からすると、政府部門に黒字が発生し、それが増大しているということは、民間部門で赤字が発生し、それが増大しているから危機的であると考えるわけである。民間部門で赤字が膨らむということは、過剰なまでの借入が発生している可能性が考えられる。それはつまりバブルを生み出すということだ。当時のクリントン政権下の米国経済は「ゴルディロックス経済」とも呼ばれ、財政黒字で、インフレも適度であり、ちょうどいいとされていた。
だが実際には01年にITバブルが崩壊し、景気後退となった。結果的にはMMTの立場から危機感を示していた人たちの指摘が正しかったのだ。

その後はクリントン政権からブッシュ政権になり、減税政策の影響や、対テロ戦争に向けた軍事費の増強などもあり、02年度以降は再び財政赤字に転じた。

とはいえ、財政赤字にしたからと言って、バブルが必ず発生しないというわけではない。あくまで大幅な財政黒字が民間の過剰な借り入れを示唆するなど、1つのシグナルにはなるということだ。

統合政府が貨幣を国民に発行し、発行量の全部ではなく一部を税として徴収することで国民に貨幣が残ることで経済が回り貯蓄も生じる「スペンディング・ファー スト」の話の好例とも言える


輸出は費用、輸入は便益

これまでは政府、企業、家計などの国内部門からMMTというものを考えることが多かったが、ここでは海外部門から説明したい。つまり、MMTが輸出と輸入についてどう考えるのかを見ていきたい。

MMTは従来の金融政策や財政政策に対して新しい観点を提供しているが、輸出や輸入についても従来とは違う考え方を持つ。通常は輸出をすると儲かり、輸入をすると自国からお金が出て行ってしまうと発想するだろう。

事実、日本は世界中に高品質なモノを輸出して稼いできた。10年にオバマ元米国大統領は演説の中で「国家輸出戦略」を発表し、米国の輸出を5年間で倍増させると宣言した。これはひとえに「輸出は善」と捉えているからだ。

実物的な観点で見ると、輸出をすれば実物が国外に出ていき、輸入をすれば実物が自国に入ってくることになる。だから輸出は費用であり、輸入は便益と捉えることができる。

輸出総額から輸入総額を差し引いたものを純輸出というが、純輸出は総需要に加算され、GDPと国民の所得を増やす。ゆえに前述の通り、輸出を善とする風潮がある。

何度も出てきた「誰かの黒字は、他の誰かの赤字」のように、全ての国が輸出で成長を図ることはできない。輸入をしてくれる国があるから、その国への輸出が成り立つのだ。つまり、誰かの貿易黒字は、他の誰かの貿易赤字があって、 初めて成り立つわけである。

輸出で儲けるためには、価格競争力を持たせるために、通貨安に誘導させる方法がある。いわゆる「為替をいじる」ことだが、このやり方は自国のことだけを考えればいい方法かもしれない。

だがそれは、貿易相手国に自国の失業や不景気を押し付けるような方法なので「近隣窮乏化政策」と呼ばれることもある。

MMTの考えでは、輸出政策は「自国窮乏化政策」と捉える。

輸出は「国内資源が海外の人向けの生産に割かれ、生産された実物が輸出によって国外に流出し、国民は実物の便益を受けられない」からだ。

そもそも、海外需要向けの生産は国の供給力に余剰がある時に行われるものだ。 通常であれば国内利用のための生産に資源を割き、国内の完全雇用を達成する方が望ましいとする、という立場がMMTの考えなのだ。

MMTではこのような国際貿易についても「機能的」アプローチを取り入れるべきとしている。

政府が貿易黒字を追求することは、財政黒字を追求するのと同じように意味がないというのだ。

それよりも自国の完全雇用を追求し、その結果として、 経常収支と財政収支が調整されることが望ましいとしている。


財政赤字は悪。財政健全化が重要だ!

著名な経済学者から中央銀行や政府関係者に至るまで、MMTは多くの否定的な意見を集めている。
多く見られる否定的な意見の1つが、「財政赤字を続けるのは不可能であり、財政黒字を目指す、つまり財政健全化が重要だ」というものだ。

しかし、これまで見てきたMMTの考えからすれば、この考え方は誤っている。
MMTから見た反論はこうだ。まず、「機能的財政論」に基づけば、財政が赤字だから緊縮財政、黒字だから財政拡張といった、数字だけを見て財政政策の方向性を決めることはないということだ。

不況なら財政赤字であろうが財政拡張し、財政黒字であってもインフレが充進する場合は緊縮財政をして総需要を抑えにいけばよい。

「ストック・フローー貫モデル」の観点から言えば、財政黒字が生じているということは、民間部門か海外部門で赤字が発生しているということであり、それは結果的に過剰な借り入れやバブル発生の懸念要因となる。
また、民間部門の借り入れ、 債務膨張が続くはずもなく、いずれはバブル崩壊へと繋がっていってしまう。

民間部門で貯蓄を発生させるためには、政府部門が赤字であることが基本的な状態であると考えられるため、財政黒字を積極的に目指すことはおかしいのである。

巨額の財政赤字、世界最悪レベルの政府債務残高と言えば、私たちが住む日本がいの一番に挙げられる。ただ、MMTの考え方に基づけば、日本は自国通貨を発行している国なので、税収による財政的な制約を課されることもない。だから財政赤字を気にせずにもっと積極的に財政出動をして、成長を促した方がいい、となる。

MMTでは税収ではなく、物価上昇率が制約になるが、日本はデフレ状態にはない。むしろ低インフレ状態が長期にわたっているため、MMTの観点からは十分に財政出動をする余地があるということになる。
以上がMMTに対して「財政赤字は悪。財政健全化が重要だ!」という否定的な意見が出た場合の反論になる。


無制限にお金を刷るとハイパーインフレが起こる?

MMTに対する否定的な意見の代表格ともいえるのが、「無制限にお金を刷るとハィパーィンフレが起こる」というものだろう。
GDPに対する政府債務の比率が高くなりすぎると、国債価格が暴落(金利が急騰)し、貨幣価値が下落して輸入価格も急騰し、ハィパーィンフレが起きるので、政府の債務残高を増やすのではなく減らしていかないといけないという考えである。

一方で、MMTでは自国通貨建てで国債を発行できる主権国家は、政府債務の残高を問題にする必要はないとしている。
この時点で既にMMT支持派と否定派では前提が真逆のため、議論にならなそうだが、筆者が見かけることの多いMMT批判は、「MMT論者はお金をいくら刷ってもハイパーインフレは起こらないと言っている」というものだ。

これはMMTを理解しないまま、誤解に基づいて批判してしまっていると思われる。冒頭の否定的な意見とは少しニュアンスが違うのがわかるだろうか。

たとえば、「機能的財政論」に基づけば、財政支出をすることで総需要は増加するが、総需要が経済の生産キャパシティを超えてしまえば、当然インフレは生じる。仮にインフレが行きすぎた場合には増税や歳出削減などで対応すればいいというのがMMTの考え方である。

つまり、MMTの枠組みであってもハイパーインフレが起こる可能性はあるのだ。 MMTを否定するのであれば、「自国通貨建ての借金ができる国が財政破綻することはない」という点と、「インフレを抑制するためには増税や歳出削減をすればいい」 というどちらか、または両方を否定しなければいけない。

後者を否定する論法として、「増税や歳出削減には政治的なコストがかかるため、 インフレの兆しが見えてから動いては間に合わない」という意見もある。だがそれもまたMMTへの理解が足りていないと思われる。

MMTでは、所得税(累進課税)は好景気になると負担が増え、民間の消費や投資を抑制する。そのため、増税や歳出削減をしなくとも財政赤字が削減され、インフレを抑制する効果があることも主張している。

また、日本ではこの20年間で2回消費増税をし、公共投資を大幅に削減したにもかかわらず、世界的に見ても高い政府の債務残高がある。しかし、低インフレを継続し、更にこれから再度デフレに突入する可能性すら見えている。残念ながらこの現状は、またしてもMMTの主張を実証してしまうことになる。

「日本の財政は10年後には破綻する」という話は過去20年以上続けられているが、 いまだにその兆しは見られない。財政破綻論者は時として「オオカミ少年」と揶揄されており、具体的にGDPに対する政府の債務残高が何%になれば国債価格は暴落するのか、という話になっても、その際に示される数字は常に引き上げられ続けてきた事実は前述した通りである。

過去の歴史を遡っても、ハイパーインフレが起きた理由の多くは、戦争で供給力が破壊された場合や、経済制裁によって国内の物資が不足した場合などであり、日本のような先進国において財政赤字だけが理由でハイパーインフレが起きたことは一度もない。

出所:MMT日本を救う 森永康平 宝島新書 2020-06-24



 

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